芸術は生きていく上で不要なのか
芸術はしばしば「なくても生きていけるもの」「生活に関係がないもの」と言われ、存在を否定されたり、ムゲに扱われることがあります。
確かに衣食住やお金と比べれば無くても生きていけるのかもしれません。しかしその「生きていける」は「死なない」という生命維持の話であって、それを突き詰めていった先に何が残るかというと、待っているのは原始的な生活です。
喰い、生命を維持する。以上。一狩り行ってきます。
さて、ここまでの話に一切出てきていない重要なワードがあります。それは
『心』『精神』
例えば食物を口の中へ運ぶだけでも人間は生命を維持できるのに、飲食店では味や盛り付けはもちろんのこと、インテリアやBGMなどお店の雰囲気になぜこだわるのでしょうか。
そのほうが儲かるから?そうですね。でももっと突き詰めていったら、美味しいと思ってもらえるためであり、雰囲気が良いからであり、その結果また来たいと思ってもらえるからです。
生命維持だけを考えるならばどのお店だって道端で焚き火で肉塊を焼いて、客がそれを食らいつけばいいだけの話。
味にこだわったり、お店の雰囲気を良くしようとする行動がなぜ必要か。そこに心の動きが関係しているからです。
他にも、生きることだけを考えているのであれば、「寝る」という行為について、病気にならない程度の健康管理をした上で、ボロ布や新聞紙、ダンボールで暖を取れば生命維持は達成できるはずなのに、なぜ暖かくてフワフワの布団を人は求めるのか。そこに心が関係しているからです。
なぜ広告や看板、チラシはカラフルで凝ったものが多いのでしょうか。何かを知らせるだけなら、最低限の文字があれば十分だし、カラーは白と黒だけで良いし、絵や写真など当然必要ないはず。
音楽など言うに及ばず。生命維持のために空気は必要なので、どうしても摩擦音という音は存在することになります。
さてさて、世の中の政治家さんの中には、芸術文化の予算を真っ先に削減する人がたくさんいます。
しかしその政治家さん、選挙の時にはカラフルなポスターを作り、説得力のあるキャッチコピーを作り、心を動かす言葉を並べて訴えかけ、わかりやすいデザイナブルなチラシやレジュメを配布してホームページを作っているわけです。気づいているでしょうか、それは芸術文化によって生まれたものなんですよ。
芸術など必要ないと言っている人は、先ほどのような一度芸術文化にまったく触れない原始的な生活をしてみてほしいものです。どれだけ心が荒んでくるか、身をもって体験していただきたい。
芸術、本当に必要ないですか?
荻原明(おぎわらあきら)