ブルーにこんがらがって

ブルーにこんがらがって

最近の記事

今年の朝顔さん。 9月の中頃双葉が出て、まだまだこれからも咲きそう。

    • 18 自動車評論、について

       自動車雑誌やバイク雑誌、最近元気ありませんね。消費者のクルマ離れも影響し情報はスマホで受け取る人も増えたからでしょうね。  ネットに掲載される情報も溺れてしまうほどあり過ぎて、どれにつかまったら溺死しないで済むのかわかりません。なかにはまるで芸能界のゴシップネタとたいして変わらないレベルの情報もありますしね。  動画サイトを見ていてもテレビや著書等で名前が知られているかたから、一般のかた?の投稿まで、そのクルマの本質を語るというよりもいかに再生数を伸ばすこと、に注力して

      • 春まで使っていたIPhone8。ふだんエアコンのない部屋の引き出しに閉まっておきました。「車載動画でも撮ろう」と半年ぶりに開けたところ・・・日中40度以上の部屋の引き出しの中。火事にならなくてよかったです。でも本当の原因は僕の心が離れたから? みなさんも気をつけてください。

        • 17 人情タクシー

           最近は諸物価の値上がりとともになかなかタクシーに乗る機会が減ってきてしまいました。やむを得ず乗るならば、終電を逃してしまったり交通公共機関の便が極端に悪いところであったりと限定されます。  法律の関係でしょうか乗務員に話しかけていい公共交通はタクシーだけですかね、見当違いでしたらすみません。  僕はタクシーに乗ったら場合にもよりますが比較的運転手さんと会話をするほうです。まぁ、運転手さんもお疲れではあるでしょうがたいがい相手してくれます。    地元でタクシーを使った際、

        今年の朝顔さん。 9月の中頃双葉が出て、まだまだこれからも咲きそう。

          16 怪しさと遊園地 

           小さな遊園地が好き  先日書店で、「ディズニーランド攻略」といったような本を見かけました。もはや僕のような要領の悪い人間が下調べもせずに行くとおトクに遊べないらしい。夢のような世界もスマホを駆使しなければのんびり気分も味わえないようにも思えました。  首都圏でいうと豊島園、向ヶ丘遊園、ドリームランドなどそれこそ家族でお弁当を持って出かけた小中規模の遊園地が相次いで閉園しました。きっとみなさんのお住まい地域にも同じような事例があるのではないでしょうか。  地域にあるよう

          16 怪しさと遊園地 

          15 クルマのボディカバーは傷が付く?

           ガレージがあればいいのですが クルマの保管場所、きちんと確保できる環境がある方はとても羨ましく思います。 「ガレージ」とは言わないまでも、屋根があって四方を遮蔽物で囲まれているのが理想なのですが。  先輩がフェラーリを所有しているのですが、保険加入にあたり車庫の状況を厳しく聞かれたそうです。まあ、フェラーリをその辺に青空駐車するような人もなかなかいないと思いますが。  残念ながら我が家にはそれがありません。  ボディカバーをかけるかどうか最初は悩みましたね。 よく耳にす

          15 クルマのボディカバーは傷が付く?

           自衛隊演習所の近くの国道で撮影しました。歩道を歩いている自分の後方から来たので前面を写せませんでした。  ご近所にとっては日常の風景なのですね。

           自衛隊演習所の近くの国道で撮影しました。歩道を歩いている自分の後方から来たので前面を写せませんでした。  ご近所にとっては日常の風景なのですね。

          14 【車両火災】 マツダに届くといいな、 か細い声

           RX-7  FD3Sの車両火災について  この猛暑の夏、僕の知っている限り4台のRX-7 FD3S型の左側後部から火が出て燃え上がっているニュース映像を観ました。  高速道路のトンネル内での発火で昔の日本坂トンネルの惨事を思い出した方は大勢いらっしゃると思います。 確認はしていませんが、昨年も同様な事故があったということです。  ある整備のプロの方がその具体的な原因を動画にあげて注意喚起をされていました。燃料系統の部品がこの猛暑と経年劣化により発火の原因になっているので

          14 【車両火災】 マツダに届くといいな、 か細い声

          13 ダサイよ。ねずみ取りをかいくぐった話(時効?)

           冬のある日のツーリング  もうずいぶん昔の冬の日、バイト先の先輩のTさんにツーリングに誘われました。Tさんは後輩の面倒見が良くクルマもバイクもいろいろと教わりました。それは今でも変わりなく、です。バイトのシフトがTさんと同じ日はとても安心したものでした。  そしてツーリング当日  TさんはHONDAの CBX400F、僕はGPZ250R。  行き先は特に打ち合わせもなく何となく走り出し自然と富士・箱根方面へと向かいました。  特に観光もしません。美味しいもの、興味あり

          13 ダサイよ。ねずみ取りをかいくぐった話(時効?)

          12 NoteにNISSANノートと過ごした9年間を記す

           父のクルマはマーチでおしまい  7年ほど走ったマーチは父のカーライフリタイヤにより終わりを告げました。 マーチってフィットとか他のコンパクトカーと比べると言うほど広くないし、荷室のアレンジも多彩ではありません。でもホントに便利でした。よく走ってくれました。  見栄えの良い高価格車は数々あれど、我が家にジャストマッチ、これで十分です。これ以上何が必要でしょう、て感じでしたね。ドアを開けてもらってレッドカーペットの上を歩くことも生涯ありませんし。  NISSANのMさんにま

          12 NoteにNISSANノートと過ごした9年間を記す

          浅草寺 四万六千日・ほおづき市

          浅草寺 四万六千日・ほおづき市

          11 「夜の停車駅」というかつてNHK・FMで放送されていた番組・・あれはいつだったか

           日曜日の23時。もう明日が来ることを諦めていた時刻  1980年ごろ毎週日曜日の23時、NHK・FMで「夜の停車駅」という番組が放送されていました。  語りは俳優の江守徹さん  日曜日がお休みで明日の朝登校や出勤の人たちは、迫り来るブルーマンデーに夕方から怯え出し、布団に入って寝入るまでその恐怖と戦うのです。  僕はその恐怖との戦いから逃れるため、日曜日は夜遅くまでバイクや電車で出掛けて自宅に帰りませんでした。  「日曜日の夕方だけでこんなに辛いんだ、人生はもっと辛

          11 「夜の停車駅」というかつてNHK・FMで放送されていた番組・・あれはいつだったか

          10 路面電車のある街 ♯1 都電荒川線

           優しい老夫婦とチェルシー  子供のころ浅草橋から浅草方面に向かう都電の中で、品の良い老夫婦から明治のチェルシーをいただきました。  「これはね、歯にくっつかないキャラメルでとても美味しいんだよ」と。  母がご夫婦にお礼を言い、僕はその場ですぐに口にしました。 記憶の中で、チェルシーを食べたのは生まれて初めて。  キャラメルではないけど、美味しくてその後いい年したオヤジになっても何となく見つけては買っていました。特にヨーグルト味。  そして2024年の春、チェルシーが生

          10 路面電車のある街 ♯1 都電荒川線

          9 NISSAN マーチの廃盤は淋しい

           再び日産販売店Mさんのもとへ  20数年くらい前の話。  父が定年退職に伴い自宅にいる時間が増えました。  いろいろと趣味や出掛けたりするのに「クルマを買ったら」ということになり、それじゃあ、って父と一緒に以前お世話になった日産のMさんのところに。  Mさんからラングレーを買い、その後他の日産店でプレセアに乗り換えたので少々気まずい思いで行きました。当時は日産のお店でもそれぞれ取り扱い車種が決まっていたのです。  Mさんは「よぉ〜久しぶり」って相変わらずに出迎えてくれま

          9 NISSAN マーチの廃盤は淋しい

          8 Kawasaki GPZ250Rを駆る・その2

           案外充分な性能です。  130〜40Kgの車重に43馬力。リッター172馬力です。載せるのは60kgの人間一人。もう充分です。  峠道を幼馴染みのCB750について行くときはタコメーター常に12000回転以上でした。非力な単車で限定解除を追いかけ回す、どこかの漫画の主人公になった気分です。完全に自己満足ですけど。  仲間もできました  類は友を呼ぶ、じゃないけれど今まで顔見知り程度の人がバイクを乗っているとわかると自然と行き来するようになりました。オートバイって孤独な

          8 Kawasaki GPZ250Rを駆る・その2

          7 Kawasaki GPZ250Rを駆る・その1

           GPz250からGPZ250Rへ  Kawasaki GPZ250Rをご存知でしょうか。もう誰も知らないですよね。いわゆる不人気車で1年かそこらで次のモデルにチェンジしたと記憶しています。すれ違った記憶もありません。 Kawasaki初の水冷並列ツインエンジンを搭載し後のクオーターNinjjaの出発点となったバイクです。    1983年夏頃、その頃たくさんのバイク雑誌があって僕は「ヤングマシン」という月刊誌を読んでいました。その雑誌の裏表紙に先代のGPz250が掲載され

          7 Kawasaki GPZ250Rを駆る・その1