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桜始めて開くの記

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2021.3.8(月)

2021.3.8(月)

東日本大震災から10年ということで、マスコミ各社が震災から10年の”今”を伝えている。

町だったり、産業だったり、人だったり。その思いだったり。

私は、直接津波被害にあったわけでも、身近な人をあの震災で失ったりもしていない。

海から遠く離れたこの内陸で、長い長い大きな揺れと、それからしばらく続いた少し不便な暮らしを経験しただけだ。

それだけでもあの時のことを思い出すと、語りたいことは本当に

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帰省

帰省

東京から次男が帰省してきた。gotoキャンペーンに東京が含まれたし、次男の周りでコロナに感染した人はいなかったこともあって、私たちもそろそろいいかなと思った。

次男の働き先は、ほとんどテレワークに移行した会社で、たまに入るネットワーク会議や打ち合わせなど以外は、自由気ままに仕事をしている。打ち合わせ中にうっかり声をかけてしまわないように、『仕事中です』『FREEです』というカードを作って次男のド

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日常は少しずつ変化するものだけれど③

日常は少しずつ変化するものだけれど③

子育てがひと段落した10年前頃から、毎年秋に、高校時代の部活動の友達と温泉に一泊しての同期会をやっている。東京のコロナの感染者数がまた増えだした頃、幹事をやってくれている友達からラインで連絡があった。

"いつもなら、日程確認して宿の手配する時期だけど、今年はどうしようか迷っている・・・”と。

今年はできるのかなあと思い始めたころだった。

東京に住む友達は、”私は今年はもう参加を辞退しようと思

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日常は、少しずつ変化するものだけれど②

日常は、少しずつ変化するものだけれど②

東京に住む次男から「気管支炎になって、あんまり外出したくないから食料を送って。」という電話が来た。こんな時期に大丈夫か~、東京はまだまだ安心できない、オンライン診療なんてさすが都会!などと、息子の話を聞きながら本当にいろいろ思ってしまった先週。ようやくプロ野球が開幕した。

このプロ野球の開幕の遅れが夫の日常生活に大きな変化をもたらした。

「新しい生活様式」が求められる中、私たちの生活は今までと

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日常は、少しずつ変化するものだけれど①

日常は、少しずつ変化するものだけれど①

2011年が忘れられない年になったように、この2020年も強く心に刻まれる年になったことは確かだろう。コロナによる自粛生活は、こんな地方都市に住む私たちの日常にも影響があった。

一つは、散歩のついでの昼飲みが減ってしまったことだ。街中になかなか出られないため、ただひたすら近所を散歩している。それはそれで楽しいけれど。だが、これはもう少ししたら、以前に戻れるかもしれない・・・と少し期待している。

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コーヒーの豆にも思い出が・・・   コーヒーにまつわる話 その3

コーヒーの豆にも思い出が・・・   コーヒーにまつわる話 その3

30年近く続く毎朝ドリップコーヒーを飲む習慣。今日はコーヒーの豆の話。

結婚したての頃、コーヒー豆は、デパ地下で買っていた。UCCのコーヒーだったろうか。それがメインで飲む豆だった。時々、行きつけの喫茶店で買ったりしながら、結構あちこちで手に入れていた。

行きつけの喫茶店は3つくらいあって、特にここのが一番というのはなかったように思う。ただ、どこでも『コロンビア』の豆。苦味とコクのバランスが好

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「コーヒーが好きなんじゃなくて、喫茶店が好きなんだ。」と息子は言った。  コーヒーにまつわる話 その2

我が家では、毎朝コーヒーを飲む。その習慣は、もう30年近く続いている。だから、コーヒー豆を欠かすことはできない。コーヒー豆にもさまざま変遷があった。デパートで買ったり、気に入った喫茶店で買ったり。その中の一つの喫茶店の話。

子どもたちがまだ、学校に通っていた頃。土曜日の午前中、長男が学校へ出かけ、次男だけが家に残っているという時期があった。次男と夫と私の3人で、よくお気に入りの喫茶店に出かけた。

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コーヒーにまつわる話 その1

小学校高学年の頃に、豪徳寺に住んでいた。休みの日になると父親とよく散歩に出かけた。ずっと続く住宅街の道を、庭木に咲く花の名前を教えてもらったりしながら、散歩した。ごくたまに、豪徳寺商店街の中の喫茶店に寄り道することがあった。私と妹が、プリンアラモードやフルーツパフェを食べているときに父親はブラックコーヒーを飲んでいた。子ども心に”どうしてこんなおいしいものじゃなくて、コーヒーなんか飲むんだろう”と

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散歩の風景②

散歩の風景②

子どもたちが思春期に入るころ、ようやく地区の開発が始まった。

子どもたちの通学路は、あぜ道を舗装したものがほとんどで、長男は、登校途中におたまじゃくしを捕まえて持って行ったこともあるらしい。(面談の時に担任の先生から聞かされて、衝撃を受けたので忘れられない。)

通学路の両側にあった田んぼが少しずつ埋め立てられていく。私のちょっとお気に入りだった、あぜ道に沿って流れる小さな堰も消えていた。メダカ

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散歩の風景①

散歩の風景①

夕方家に帰ると、玄関先に”はや”がいた。

もっともその時、私はその魚の名前を知らず、漬物が入っていた黄色い小さなバケツの中に、シュッとした小さな魚が入っているのを見たのだった。

”はや”というその魚の名前を教えてくれたのが、夫だったのか、魚を捕まえてちょっと興奮した子どもたちだったのかは忘れてしまった。放課後、近所の子どもたちと、近くの田んぼの堰で網ですくって捕まえたもののようだった。

夫の

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旅の記録①2020・7・24  平庭高原

旅の記録①2020・7・24  平庭高原

go toキャンペーンが始まった7月の4連休。何も予定を立てていなかったが、1日くらいは少し遠出をしようかということになった。

県外の人でにぎわう観光地じゃないところに行こうということになって、平庭高原へ出かけた。懐かしい岩手町を過ぎ、大坊峠に入る。私は、単身赴任していた時にJRバスの『白樺号』で何度も通っていたのだが、その時やっていた道路の拡張工事がまだ続いていた。

だらだらと続く葛巻町を過

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