室町時代に象が来た
現代でも動物園の人気者である象。江戸時代の享保13(1728)年に象が来日し、将軍徳川吉宗や中御門天皇、霊元法皇といった人物と対面しました。
日本初の象の記録は?
江戸時代にやってきた象は記録も多く有名ですが、これが象の日本初上陸というわけではありません。江戸時代の象から300年もさかのぼる、室町時代の応永15(1408)年、日本に初めて象が上陸しました。
日本に象は生息していませんが、仏教の生まれたインドの動物であることもあり、仏教関連の絵画や彫刻などを通じて日本人は象の存在を知っていました。平安時代の煕寧5(1072)年に宋に渡った僧侶の成尋は、実際に象を見てその様子を記録に残しています。
若狭に上陸した象
「若狭国在所今富名領主代々次第」という史料には、応永15(1408)年に若狭(福井県)の小浜に南蛮船が到着したことが記されています。
その船には、「生象一疋(黒)、山馬一雙、孔雀一対、鸚鵡二対、其他色々」が積まれていたとのことです。
船の派遣者である亜烈進卿という人物は、日本国王にこれらの動物を含む進物を献上しました。現在のインドネシア・スマトラ島のパレンバンから来たものと考えられています。
小浜市には、象をつないだと伝えられる「象つなぎ岩」が残っています。
当時の室町幕府の将軍は4代足利義持でしたが、彼が象を実見した記録は見当たりません。しかし、この象は義持からの贈り物として朝鮮国王に贈られたようです。
朝鮮に渡った象のその後
「朝鮮王朝実録」によれば、1411年に日本国王(足利義持)から朝鮮国王の太宗に、一頭の象が贈られたとのことです。朝鮮の人にとっても、初めて目にする象となります。
しかし、この象は朝鮮にとって厄介な贈り物となりました。象に踏み殺される者がいた上に、年間数百石の豆を食べるなど飼うのも大変です。しかし、日本国王からの贈り物を殺すわけにもいきません。
象は島流しとなりますが、餌を食わず痩せていく一方だという報告があり、太宗は哀れに思って象を戻すよう命じました。その後、象がどうなったかは不明です。
日本でも同様に象を持て余し、厄介払いとして朝鮮に贈ったのかもしれません。
参考文献:
國原美佐子(2001) 「十五世紀の日朝間で授受した禽獣」 『史論』54 2001、P119~141