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恋と学問 第12夜、地獄に堕ちた紫式部。

時の流れは恐ろしいもので、かつて支配的だった価値観も、人知れずゆっくりと崩れてゆき、いつの間にか、ある人物の評価が正から負へと反転していたり、価値を失い忘れ去られたりするのは世の常です。

そう遠くない時代、マルクスはインテリの必読文献でした。肯定否定、どちらにせよ、一応は読んでおかなければインテリとはみなされませんでした。今は見る影もありません。むろんマルクスが変わったのではない。時代が変わったのです。

しかし、それでは何となくむなしい気がします。「今はそんなの流行らない。以上おしまい」にして良いのでしょうか?

時流に適合したものだけを価値あるものと見なす態度、その時代に支配的な価値観によって事物を採点し、対象それ自体に内在する価値を認めない態度は、時代時代の人間たち、つまり現代人の、傲慢でないとすれば努力の放棄にほかなりません。時流に逆らわないのは誰にとっても楽な道だからです。

以上は、今夜のテーマである「源氏物語の誤読史」のための前置きです。紫式部ほど分かりやすく、時代時代の価値観にふりまわされ、もてあそばれた人物も珍しい。本居宣長が費やした努力の大半は、この誤読の除去にあったと言っても過言ではありません。除去した先にしか、真実の紫式部はいないことを、宣長はよく知っていました。

紫文要領で言うと、私たちが作った目次における「第3章/仏教的解釈は不当」に相当し、これをもって「第1部/文学と物の哀れ」が終わります。
(岩波文庫版「紫文要領」57-62頁)

源氏物語が11世紀はじめに成立して以来、古くから多くの注釈書が生み出されてきましたが、どれもこれも例外なく、作者の意図に反するヘンテコな誤読だったということは、私たちを驚かせます。

ヘンテコな誤読の代表が、今夜とりあげる箇所で宣長が槍玉にあげている「仏教的解釈」なのですが、これはふたつのタイプに分かれます。

○ 紫式部は淫乱な男女関係を描くことで地獄に堕ちた。供養してやらねばならない。【堕地獄説】

○ 紫式部は天台宗の宗旨を免許皆伝し、その教えを物語にした。源氏物語は仏典の小説化(ノベライズ)なのだ。【聖人説】

これらは数ある見解の中でも奇抜なものというのではなく、宣長が江戸時代の中期に紫文要領を書いて、源氏物語の主題を物の哀れに求める以前には、むしろポピュラーな源氏理解でした。どうでしょうか。ア然とするほかないのではありませんか?

前者は「源氏供養」の名で能の曲目にもなっているほどで、地獄に堕ちた紫式部を供養する行為は、式部の死後まもない12世紀にはすでに広く行われた風習だったようです。

後者は、戦国時代に書かれた三条西実隆による源氏物語の注釈書「細流抄」(1510)に典型的な考えで、仏道に身を捧げた聖人とみなした、前者とは正反対の式部観です。

正反対の式部観、と言いましたが、両者には共通点もあります。どうしようもなく源氏物語の魅力に取り憑かれている点です。式部を地獄に落とそうが、聖人にまつりあげようが、源氏物語の怪物めいた姿に何の影響もありませんが、それでも彼女に一矢を報いたかった。何かしら「文句」を言わずにはいられなかったのです。

小林秀雄の言葉がよくまとまっているので引用します。

このような考えが、いつの間にか形成されたという事は、時代の通念に従い、婦女子の玩物として、「源氏」を軽蔑していながら、知らぬ間に、その強い魅力のいけどりになっている知識人達の苦境を、まことに正直に語っている(小林秀雄「本居宣長(上)」新潮文庫、2007年改版、186頁)


端的に言って、彼らは、源氏物語の魔力に引き込まれている自分自身に腹を立てていたのです。堕地獄説が生み出され、源氏供養が習慣化したころ、日本は武家社会の入り口にさしかかっていました。武家の常識が光源氏という奇妙な人物を道徳的に許容できるわけもなく、その生みの親である紫式部を供養することで自身の道徳心を満足させるくらいしか、手立てがなかったのです。

聖人説にしても同じことです。戦国時代のさなかに、平安泰平の宮廷社会の淫乱な男女関係について書かれた物語を読むことに、どんなに心理的な抵抗があったのか想像してみなければなりません。なるほど、これはたしかに面白い。言葉にしがたいほどに。しかし、面白いと思う己自身が不審である。主題は本当に恋愛か?そもそも恋愛が人生の主題となり得るのか?紫式部は仏の尊い教えを、誰にでも分かるやさしい言葉で説いたのではないか?

今まで述べてきたようなことを、「合理化」と呼ぶこともできます。便利な言葉です。読者の生きた時代の価値観に合うように、源氏物語はいかようにも合理化され変形されてきたということが、源氏物語の誤読史の正体だ。そのように結論付けることもできます。

ただ、正確に言えば、これらの現象は「合理化」と言うよりも「アレルギー反応」と言った方が実態に近い気がします。彼らは源氏物語のあるがままの姿に拒絶反応を示したのですから。一方では、その魔力に取り憑かれながら。

宣長の源氏論が画期的だったのは、拍子ぬけするほど単純なこと、すなわち、彼だけが源氏物語をあるがままに読んだということ、この一点にあります。宣長だけが、アレルギー反応を起こさずに、不道徳で不条理な物語を読みきった。そのわけは、聖人説を説いた三条西実隆と異なり、宣長は恋愛が人生の主題となり得ることを身をもって知っていたからです。(第2夜/秘められた恋のゆくえを参照のこと)

宣長がやったことは、紫式部という比類なく魅力的な女性にまっすぐに向かっただけです。今回の箇所(57-62頁)で宣長は、これらの仏教的解釈に対して非常に論理的で説得的な批判を、数多く加えていますが、宣長の言いたかったことは「これ作者の本意ならんや」(61頁)、こんな解釈で紫式部の心を捉えたとでも思っているのか、というのに尽きているのであって、作者の意図を無視したような注釈は「とかくいふにもあたらぬ事」(同)、もとより論外なのです。

今夜の話を結論づけてみます。

対象が源氏物語であれ、何であれ、対象それ自体の持つ価値(宣長はこれを「物の味」と言います)を認めた上で詳しく知ろうとすることは困難な道です。己が生きる時代の価値観を対象に投影して是非を判定したり、価値観にそぐわない部分を曲解して合理化したりするほうが、よほど楽な道です。

物の味を知ったところで誰も褒めてはくれません。時流に逆らうのですから、むしろ嫌われるかもしれません。しかし、論語に「古の学者は己のためにす。今の学者は人のためにす」(憲問篇)とあるように、学問とは本来、他人の評価などどうでもよく、己のためになるからするものです。宣長は、学問なしには生きられないから学問したのです。不道徳で不条理な、苦しみに満ちた恋は、宣長に人生の味を教え、源氏物語をあるがままに読むことを可能にし、これを言語化するために紫文要領は書かれました。すべては己のためでした。

宣長は長い愛読経験の末に、紫式部の心の声が自然と聞こえてきて、対面して親しく語りあう境地に達します。人生の達人である彼女の本心が、すみずみまで分かるようになったことに、たいへん喜んでいます。そして、恋の学問が可能であることを確信しました。

繰り返しますが、宣長の選んだ道は困難な道です。対象が語りかけてくれるまで、地道に努力し続けなければなりません。しかし、いったん道が開ければ、このように、敬愛する対象と親しく語り合う、至上の喜びが待ち受けています。

冒頭でマルクスのことに触れたので思い出したのですが、資本論の序文に、学問を山登りに例えた話が出てきます。山は険しいほど登った時の喜びが大きいが、学問もまた同じである、と。これを今夜の話に結びつけるならば、己の価値観に合わないからといって、すぐにアレルギー反応(曲解、合理化、改変など)を起こす人は、心理的な抵抗を嫌ってやさしい道を選ぶ代わりに、大きな喜びを得るチャンスをむざむざと捨てているのです。

勘の良い方は、これは源氏物語の誤読史に限った話ではなく、現代にも広く認められる現象なのだと、今から私が言おうとしていることを、すでにお気づきのことと思います。どんな話題にせよ、かんたんに解説してくれる本が売れ、簡潔に説明できる人が尊敬されますが、たいていの場合、現代の価値観に合った耳障りの良い言葉で、対象を理解した気になっているだけのことです。

源氏物語の誤読史だったら、私たちの時代から遠く離れているぶん、まだしもその誤りが見やすいのですが、現代の諸問題は、私たち自身、現代の価値観から完全に自由になることなどできないのですから、これを正確に理解するにはより多くの困難が伴います。それでも物の味を知る喜びを得ようとするならば、私たちもあえて困難な道を選ばなければなりません。

本居宣長の学問には、物の味を知るための困難と喜びが詰まっており、今を生きる私たちはそこから、共通の課題と希望をよみとることができます。

今夜はこのへんで。

それではまた。おやすみなさい。




【以下、蛇足】




今回は、源氏物語が誤読されてきたのには、どのような要因があったのかを考えてみました。

また、宣長がそうした要因から自由になれたのは何故か、という問題についても考えました。

物にまっすぐに向かう彼の実直な気質と、秘められた恋の経験が深く関係していることが、今回のお話で明らかになったことと思います。

さて、次回からは「第2部/善悪と物の哀れ」と題した、道徳の問題を扱う文章を読み解きます。道徳を離れて人間はどんな理想を持ち得るのか?

宣長の言葉、その泉から汲みとります。

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