【読書感想】半農半Xという生き方[決定版]
京都府綾部市出身で、「半農半X」を提唱し、自らも綾部で実践をされてきた塩見直紀先生の著作です。塩見先生がどのようにして「半農半X」にたどり着いたのか、その意義や、実践されている方々(もちろん塩見先生含む)の実例も交えています。
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あれ?福知山市の隣というか福知山市に関わってくれていた人は、めちゃくちゃスゴイ人だったというのが第一感想です(笑)。今は、下関市に移住されてしまいましたが、本当に今更ながらスゴイ人とご一緒させていただいていたんだなと感慨深い思いなのと、恐縮という思いしかないです・・・。
この本を読んだ理由は、地域活性化センターで海士町のマルチワーカーの取り組みを塩見先生にもスピーカーの1人になってもらいお話する企画をしていたので、改めて塩見先生の思想を知りたいと思ったからです。また、その前の週に海士町が取り組んでいる「半官半X」について僕がスピーカーの1人となって話すので、そもそもの「半農半X」知らないとお話にもならないだろうと思って読みました。(企画内容は下記リンクから)
https://www.jcrd.jp/event/basic/2021/0726_2365/
スゴイスゴイと言っていますが、何がスゴイって今では当たり前になっている「シェア」の概念がこれから広まるとか、「農的なコミュニティビジネス」が出てくるとかを2003年、約20年前に言い当てていること。さらにこの本が文庫版になった2014年に島根県が「半農半X」に熱心に取り組んでいること、市町村に「半農半X課」ができると言及されていて、海士町が実際に「半官半X担当」を作ったという予言者ですか?と言いたくなるほどの的中率。
でも、塩見先生は別に預言者ではなくて、この本や塩見先生とお話していると特徴的なのが他の人の言葉をよく引用して、それに加えて自分の考えを述べられていること。つまり、よく人の話を聴き、本を読んでキーワードを丁寧に拾っていることに気付きます。恐らくその膨大な情報量の中で、共通点に気付き、それを発信すると予言みたいになっているのかなと思います。
その他にもスゴイと思うことは、期限を決められていること。33歳で会社を辞められて、故郷の綾部にUターンして、自分がたどり着いた「半農半X」という生き方を実践されたり、お母様が亡くなられた42歳までに本を3冊出すと決めて、実際に3冊出していたりと「解説」でコミュニティデザイナーの山崎亮さんも仰っていますが、とても意志が強い方という印象です。そして、また山崎さんも語っているのですが、意志が強いから力強い方かと思いきや物腰柔らかで、人の話をよく聴いてくださる方なんですよね。これは僕の推測でしかないですが、自分が出会う人からも生き方のコンセプトを探されているのではないかと思ったりしています。
塩見先生が「半農半X」にたどり着いたのは、20代後半から30代にかけての時期で、その時に環境問題が取り上げられるようになり、阪神淡路大震災も発生するなど自分の生き方を変えなければならないという問題意識から本を読み、講演を聴き、対話をしたからだそうです。そして、奇しくも僕も20代後半でコロナ禍の経験や「個」としてのあり方、自分の生き方を考えるようになってきたので塩見先生とタイミングが駄々被りしていて笑っています。
この本を読んで、「農」という生産的行為は生活から切り離すべきではないと思ったので、福知山市に帰ってからも毛原の棚田オーナーは続けて、自分なりの関わり方で「農」に触れる機会は無くさないように心がけていこうと決意しました。そして、「X」。自分にとっては何なのかを改めて問い直したいと思いますが、現在の仮説では「人の魅力を引き出し、発信して、受け取った人がさらに自分なりの魅力を出して、それが連鎖していく」ような活動が自分のとっての「X」のような気がしてします。
少し社会の本質に迫ることができたと感じる一冊でした。気になる文は下記の通りです。
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半農半Xということばは私たちが向かうべき二つの軸を示している。
一つは人生において農を重視し、持続可能な農のある小さな暮らしを大切にする方向だ。もう一つは与えられし天与の才を世に活かすことにより、それを人生の、また社会の幸福につなげようとする方向だ。座標軸においてみると、目指すところがよく見えてくる。(P.13)
人のテーマはほんとうに多様だ。私はそれを「使命多様性」と呼んでいる。(P.16)
人は自分が置かれている立場を、すぐ状況のせいにするけれど、この世で成功するのは、立ち上がって自分の望む状況を探しに行く人、見つからなかったら作り出す人である。これは英国の作家バーナード・ショーのことばだ。(P.17)
天の意に沿って小さく暮らし、天与の才を世に活かす生き方、暮らし方を一九九五年ごろから、私は「半農半X」と呼ぶようになった。(P.19)
一人ひとりが天の意に沿う持続可能な小さな暮らしをベースに、天与の才を世のために活かし、大好きなことをして社会的使命を実践していく生き方ができる社会の実現は、ほんとうに可能ではないかと考えている。私はそんな社会を「天与の才を発揮し合う社会」と呼んでいる。(P.21)
「X」の文字は二本の線が交差している。
一本を自分、もう一本を社会が歩む道と考えると、その接点は自分と社会が調和したところである。これは、社会に背かず、社会から疎外されずに社会の一員として自分が何をできるか、つまり、「X」で個人が社会に積極的にかかわることを示している。そして、そこに「何か」が生まれることを意味している。私と社会のコラボレーション(共創)、それこそが「X」だ。
その「X」は自分がワクワクするようなものでなければならない。(P.47)
今、世界では、「所有価値」から「利用価値」へ意識、考え方が変わりつつあるが、農村部も同じである。(P.51)
自分の「X」を発見していくには、孤独の時間、一人の時間がとても大切だ。(P.69)
引き算という考え方は、仕事に対する姿勢にも影響を与えてくれた。
私はその仕事は自分のミッションに沿う「使命内」のものか、それとも「使命外」のものなのかと考えるようになった。(P.72)
京都の銀閣寺近くに「哲学の道」があるが、田んぼも私の書斎みたいなもので、「哲学の田んぼ」と呼んでいる。田んぼは大事なことを思い出させてくれるし、人を育ててくれる。(P.86)
人も同じだろう。一人ひとりの「X」を組み合わせると、多様性に満ちた解もきっと生まれるだろう。(P.111)
理想は体験をメニュー化しないことだと思っている。(P.126)
「give and give(与え、さらに施す)」「give and forget(施したことさえ忘れてしまう)」という考え方があるのを知った。
私たちはつい受け取ることや与えたことに執着しがちである。(P.142)
現世代(今を生きる世代)中心の世では、将来世代への配慮もなく、すべては決められていく。ツケを払うのは未来世代だ。(P.155)
そのようなことに気づいて間もない二十代の半ば、「七世代先の子孫」を念頭に置き、あらゆることを意思決定する北米先住民イロコイ族の哲学に出合い、大きな衝撃を受けた。(P.156)
永続して生きていくための「小さな農」、「天与の才」を世に活かし社会的な問題を解決するための「X」。私たちが残したさまざまな難問を解決するには、この二つのことが同時に必要ではないか。(P.157-158)
一瞬一瞬を、「今・ここ・この身」を生きたらいい。でも、私たちは明日も明後日もあると錯覚してしまう。人生には締め切りが要る。そんなことを考えるようになってしまった。いつまでも生きられると思う生き方を、変えなければいけないと。(P.168)
「我々は何をこの世に残して逝こうか。金か。事業か。思想か」と、内村鑑三は説いていた。私はまるで自分が問われているような気がした。(P.171)
もしかしたらと思うものがあれば、とにかくやってみる。あるいは、えきることから始めている。どんなに小さくてもいい。(P.183)
しかし、社会はそう簡単に変えられるもはないと思い知らされ悩む。そこで気付いたのが、社会はすぐに変えられないが、自分は変えられるということだった。(P.190)
移住者の中には、自分探しで田舎暮らしを始めた人もいるが、みんなに共通しているのは、心を開く、つまりオープンハートで他者との関係性をつくっていることである。(P.210)
・・・ヴィクトル・E・フランクルは「生きる意味の喪失というのが、環境問題とか社会のあらゆる混乱よりももっと深刻だ」ということを言っている。(P.234)
二十一世紀には二大問題がある。私はそれが環境問題と天職問題ではないかと考える。(P.238)
あとは勇気を出して、スモールアクションを重ねていくこと。気づきを独占せず、発信を重ねていくこと、シェアしていくこと。きっと道はシンプルだと思う。(P.239)
この国にはモデルがたくさん必要だと思うし、環境破壊や気候変動、地域の疲弊など残された時間もあまりないのではないかと思う。今後は市町村にも「半農半X課」ができる時代になるだろう。(P.247)