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比喩としての愛、あるいは接続/切断について――ジャン=フランソワ・リオタール「蝶番」に寄せる短文

 私はため息をついて顔をあげた。
 喫茶店でリオタールを読んでいる。年末年始、行きつけの店は端から閉まっていて、居場所がない。だからといって家に閉じこもるのも気づまりだ。そういうわけで、大晦日も元日も、雑居ビルの二階にある喫茶店に通いつめている。イヤホンをつけてニット帽をかぶり、背中を丸めて「蝶番」を読みつづける。リオタールによるデュシャン論。ここ数日は、キース・ジャレットの《The Melody at Night, with You》をずっと聞いている。
 「蝶番」第20節によると、デュシャンは「大ガラス」の制作にあたり、ボウロフスキーの《Voyage au pays de la quatrième dimension》から影響を受けている[1]。書名をグーグル検索にかけてみる。ウィキペディアがヒットする。ページをざっと流し読むと、下のほうにウィキソースへのリンクがあった。跳ぶと目次が表示されている。

[2]

  4章「水平な階段」。6章「瞬間の旅」。7章「平らな家」。
 「水平」が二次元なら「階段」は三次元。「平ら」が二次元なら「家」は三次元。「瞬間」は時間の持続における微分的な一点を指す言葉だが、「旅」はそうした無数の瞬間の連続から成る線的な時間を前提とする。いずれとも、ある次元を指示する形容詞が、それよりひとつ高次の次元を指し示す名詞にかかっている。
 つまり、これらの標題においては、ある次元がそれとは別の次元に接続されている。
 そうか、これが蝶番か、と思い当たる。

  「大ガラス」すなわち《La mariée mise à nu par ses célibataires, même》。一般的には、《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》。それはガラスの上半分を占める「花嫁空間」と、下半分を占める「独身者空間」から成っている。古典的な線遠近法によって構成される「独身者の領域」に対し、「花嫁の領域」は近代的なテクノロジーと関連づけられると、リオタールは論じる[3]。要は、ふたつの空間は全然違うということだ。まるで異質なふたつのものが、たがいの異他性を保持したままに、それでも境界線を同じくする。中央部にある横長のガラス板は、ふたつの空間を切断しながら接続することで、さながら蝶番として機能している[4]。
 フランス現代思想の哲学者たちは「切断しながら接続する」みたいな言い方をよくする。第二次大戦後の世界を生きた思想家たちにとって、そこにはある種の倫理的な要請があったのかもしれない。同一化できないものとして他者を措定した上で、その他者によって主体が基礎づけられるというような哲学を構想しなければ、死者たちに許してもらえないと感じたのだろうか。「切断しながら接続する」ことができなかったからこそ、たくさんの人が戦争で亡くなった。
 そのときちょうど最後の曲が終わる。同じアルバムがまた一曲目から再生される。珈琲のおかわりを頼む。

  《The Melody at Night, with You》の一曲目は "I Loves You, Porgy"。昔、映画館から駅まで歩くときにいつも聞いていた。静かで優しい誠実な音楽だ。それがかえって夜の繁華街の猥雑さに合った。Lovesにsがついているところも好きだった。I Love Youという響きの陳腐さをぎりぎりのところで逃れ、かつそれを逆手にとるような軽快さが、ロマンチックなイメージと同居している。
 「蝶番」を読んでいるいま、Lovesのsは「手助けされたレディ・メイド」を連想させる。デュシャンは言葉遊びが好きだった。モナ・リザの複製画に口髭と顎髭を描きこんだ《L.H.O.O.Q》という作品。そのタイトルは、続けて読むと英語のlookの発音になり、髭を生やしたモナ・リザを見ろという意味になるが、標題にあるピリオドに準じて文字ごとにフランス語で発音すると、「彼女は発情している」(Elle a chaud au cul)という意味になる。髭の描きこみと合わせて、ヨーロッパの名画を皮肉っているわけだ[5]。
 ふと、「大ガラス」の原題を思いだす。《La mariée mise à nu par ses célibataires, même》。même(メーム)とは、m'aime(メーム)(私を愛する)であるかもしれないのだった。

 ジャック・ラカンのセミネール24巻は《L'insu que sait de l'une-bévue s'aile à mourre》と題されている。一義的な意味を文法的に確定することはできないが、une-bévueはドイツ語のunbewußt(無意識)の代わりに用いているというラカンの説明を踏まえ[6]、それを読みあげたときの音に着目すると、「無意識の失敗とは愛である」(L'insuccès de l'inconscient, c'est l'amour)と読むことができる。
 もちろん、正式な標題は《L'insu que sait de l'une-bévue s'aile à mourre》だ。聞きまちがえてしまった人だけが、それを愛についての命題として読むことになる。
 自分が望むものを与えられつづけた子供は、やがて拒食症になってしまうという話を思い出す。そういえば、ラカンは「愛とは持っていないものを与えることだ」とも言っていた[7]。

 もう何年も前、精神分析の面接で、愛するということが話題になったことがある。「あなたはその人を愛していたのですか」と分析家に問われたのだ。
 私は面食らっていた。そんなことを自分が誰かに問われるなんて思わなかった。
 それは、愛するということをどう考えるかという問題になりますが、と言って、私は考えこむ。
 沈黙。
 窓の外では雪が降っている。
 言葉にならない思考が部屋に降りつもる。言葉を失って黙りこむ私に助け舟を出すように、分析家は、「愛とは持っていないものを与えることだ、とラカンは言っています」と教えてくれた。
 愛とは持っていないものを与えることだ、と私は分析家の言葉をくりかえす。その命題の音の響きを確かめて、そこから浮かび上がってくるかもしれない意味に耳を澄ませる。
 だが、なにも思いつかない。
 つまり、それはどういうことですか、と業を煮やした私は問い返すが、分析家は肩をすくめてなにも答えない。
 分析家は蝶番であろうとしてくれた[8]。 



[1] Lyotard (2011), p.243.

[2] Wikisource Voyage au pays de la quatrième dimension
 ここに記載されているテクストの底本が第何版であるのかは確認できていない。また、版によって章題が大きく異なっている可能性がある。

[3] Lyotard, p.160.

[4] 北山は、「分離と結合の境界のありよう」であるところの、デュシャンによるアンフラマンスの概念に触れて、それは「分離と結合の蝶番をなしている」と述べている。(北山(1999), p.109.)
 また、リオタールが「蝶番」第5節で「かつ/または」について述べているのは、それが「メタ蝶番」あるいは「パタ蝶番」として、ふたつのものを切断しながら接続しているからとも考えられる。(Lyotard, p.146.)

[5] 平芳(2018), p.61. デュシャンは、彼の言葉遊びへの関心について、控えめな言い方ではあるが、ルッセルからの影響を認めるとともに、ジャン・フェリの本からそれを学んだと語っている。(Cabanne(1995), pp.50-51.)
 また、デュシャンの変名であるローズ・セラヴィ (Rrose Sélavy, Rose Sélavy) は"Eros, c'est la vie"(「愛欲こそが人生」)とかかっていることが知られている。

[6] Lacan, S.XXIV, p.70.

[7] Lacan (1966), p.618.

[8] 「蝶番である」ということに関しては、デュシャンがローズ・セラヴィでもあったということを、その例として挙げられるかもしれない。 



参考文献一覧


一次資料

Jean-François Lyotard, ‘Charnières’, in Les Transformateurs Duchamp, (Leuven : Leuven University Press, 2011)

Pierre Cabanne, Entretiens avec Marcel Duchamp, (Paris : Somogy éditions d’art, 1995)

Jacques Lacan, Écrits, (Paris : Seuil, 1966)

Jacques Lacan, Séminaire XXIV : L’insu que sait de l'une-bévue s'aile à mourre, Ed. du Staferla, http://staferla.free.fr/S16/S16%20D'UN%20AUTRE...%20.pdf (2025年1月12日アクセス)


二次資料

平芳幸浩『マルセル・デュシャンとは何か』(河出書房新社、二〇一八年)

北山研二「デュシャンとその蝶番」[『ヨーロッパ文化研究』第18巻(電子版、成城大学、1999年3月)所収]https://www.seijo.ac.jp/graduate/gslit/orig/journal/europe/pdf/seur-18-04.pdf(2025年1月14日アクセス)

Wikisource Voyage au pays de la quatrième dimension
https://fr.wikisource.org/wiki/Voyage_au_pays_de_la_quatri%C3%A8me_dimension(2025年1月14日アクセス)

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