下手な日本人論より素直に納得できるこの複雑にしてないまぜな「腐れ縁」を変遷してきたこの国らしい形がフラットに描かれているのが高島俊男『漢字と日本人』。再評価は嬉しいところだが既に亡くなっている筆者に代わりちゃんと糺すところを糺している朝日新聞書評のぬかりのなさまで感じられる坂村健の書評を引いて、ヒュッとこの本の要諦を引き戻しにかかる。
まあ本題が本題なので、まくらはインパクト強く、かつ軽めの話題で。
義母に「えっ肉を入れないでナスだけで作るの?それって北海道の料理なの?」と嘲笑されたナスの生姜焼きが、我が家の定番になり、「義母もうまいうまい」と食べている話 - Togetter [トゥギャッター]
やはり「美味しいは正義」。
ああもうこれは「うまそう」。
では本題へと。
ここで高島俊男『漢字と日本人』再評価は嬉しいところだが
、コメント欄の「塩水選」に選ばれてなさそうなコメントが
かなり使い物になってないので。
日本語には、「コーコー」と読む熟語が40以上あり、これを会話中に識別する神業を日本人は瞬時にやってのける「同音異義語」がやけに多い話 - Togetter [トゥギャッター]
個人的には「不倫」という言葉の捉え方が多くの人と違う
観点だったのが印象的。
あと『本が好き、悪口言うのはもっと好き』や『お言葉てすが…』
シリーズが好きだったのですが、高島俊男のコラムが読めた頃の
週刊文春は「バス待ちで読めるちょっとした教養コラム誌」
だったのですが、パパラッチ文春砲の過信と高島俊男や数多くの
コラムニストが一人消え二人消えするたびに(酷く大衆文学を
小馬鹿にする体質ばかりが前に出て)
触るのも難しい代物になっていった印象があります。
エネルギーは「漲(みなぎ)る」エナジーは「吸い取られる」|torov
ナンシー関と高島俊男は週刊文春の羅針盤だった、と思っている層は意外と賛同者がいそうな感じはするんだけど。
何故この御時世にもなってまだ日本人だけが「支那」と
原語表記に近い形で呼んではいけないのか、って視点を与えてくれたの
も高島俊男の影響は強いな、と思いますし。
高島俊男『漢字と日本人』は基本的に平易なことばでわかりやすく
現在の漢字の使われ方と成り立ち、その変遷をきっかり辿っている
良書、って認識ではあるので。
その点、この本の書評をしているのが坂村健、ってところに朝日新聞書評のぬかりのなさはあるな、と。
この中ではJISが肥大したので(日本工業規格)が日本産業規格に格上げ
されている以外はさして解答に変化はない。
この仕組みをあえてTRON、T-Kernelの坂村健が評して、かつ
ラストには苦さの部分にまで言及してるのが素晴らしいんですが。
これを高島俊男氏は「腐れ縁」という一語で説明しているのが
すさまじく適切なの、で。
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