一応おさらいを踏まえて、伏見の「駿河屋」が震源だった羊羹文化の中心と周圏文化を点描で描いていくか。「ブラタモリ東海道五十七次見聞録」その二。経験した「蒸しようかん」と「練りようかん」のキワは明石だったことから、今は無き「子午せん 人丸」を探し当てつつ、福井県大野市にも「でっちようかん祭り」があることを確かめつつ。
一応おさらいとしては「亀屋良長の激レアさん」と「御勝手屋羊羹」
(丸筒羊羹)と「ようかんぱん」のバリエーションは記事にしたんだよな。
軽井沢でも小城町でもない京都の和菓子屋のぼんぼんだったからこそ、スーパーレアが引けた一例をまくらに。本題は地域バイアス弱めの「テレ東」を帯びてる、って特性も斟酌出来ないから時にスポニチアネックスカッコ悪い、が入り混じる「伊集院光と佐久間宣行の勝手にテレ東批評」。|torov
橋本治の前提で昔ながらの江戸文化で醸成された城下町は
小城町の「小城ようかん」に代表されるように羊羹文化が
進化しすぎてそれ以外の菓子文化が成長しなかった、って
歴史がある。
逆に皇室ハイソの新興テニス文化で鳴らした軽井沢には
アンコの文化がないと。
そうした間隙とタイミングで老舗の京都の和菓子屋が
「亀屋良長の激レアさん」として突き進み、チョコ烏羽玉とか、
スライスようかんなどを開発していく記事がこれかな。
丸筒缶の手頃に食べられる糸切り羊羹といえば、なんといっても四の五の言わずに五勝手屋羊羹なのでした。|torov
に対して北海道は土産文化なのも含めて、丸筒羊羹として
売られているケースが多いのは五勝手屋羊羹が使い出して、
ANZEN・PAX 株式会社(旧安全アルミ)の企業努力から進化
した歴史があり、フォロワーも多い、って記事がこれか。
ま、これが戦時下の供給物資となって、小城ようかんの
村岡総本舗や東京の虎屋まで関わってくるのが興味深い点
でもあるんですが。
で、そうした羊羹ヒエラルキーの低めなところから、チョコではなく羊羹を使ったりナパージュ(吹き付けコーティング)したのが「ようかんパン」って話も大体やったと。
ようかんに対するヒエラルキーや抵抗感が低い地域でないと「ようかんぱん」を名乗る形にはなかなかならない。ようかんパンの震源地からほうぼうを眺めつつようやく「ロングスワニー」と「ようかんちゃん」までを思い出すまでの彷徨逡巡レファレンス。|torov
北海道、富山県朝日町、高知、鹿児島と紹介したけど、
このうち「ひすいパン」の翠色を出すために使われてた素材が小林製薬をズンドコにした紅麹だったのは、ある意味皮肉でもあるか。
そして一応連環としてはこちらの方が薄いけど、昨日の記事の続きで
二回目です。
三条大橋眺めてくるのも一興だったんだな。「ブラタモリ東海道五十七次見聞録」その一。地下通路で買ったたまごサンドは「成見家」のたまさんとようやくここに来てわかった。あいみょんのナレーションはどこか人懐っこくて、非常に聴き取りやすい。分岐点(追分)は髭茶屋追分から。|torov
で、今回「ブラタモリ」で出てきたのは羊羹ヒエラルキーの
中央部分で、近江ちゃんが出てた頃の「駿河屋」でタモリさんとかが食べたのは「蒸しようかん」だった、って話。
で、今回分家した方の「駿河屋」で食べたのは改良されて
日持ちがして、全国に持っていける「練りようかん」だった、が本編。
ここに来たのは系統図ゴリゴリで映ったから無視されたけど、京阪の
歴史では欠かせない「電気鉄道事業発祥の地の石碑」があるのがここか、
伏見駿河屋本店。
だからここで採り上げるのは小城町ほど京都から遠くなく
周圏的に広がった「練りようかん」を食べやすく安価で提供する
「丁稚羊羹」「水ようかん」と、「練りようかん」だったものを
リベイクしてまた「蒸しようかん」にするタイプの
ようかん文化の周圏文化を点描で描いていくか、を本題に
するかなと。
でケンミンSHOWでも特に取り上げられてて、黒糖たっぷりで
つるんとしてて板流しされてるコタツで、なのが福井の
水ようかん。
これが丁稚羊羹文化に周圏的なブームのあった黒糖を使う菓子文化が
混ざり合って独自進化した形の究極かな、と。
まあ福井へ行ったのは今は亡き祖父が連れてってくれた祖父の故郷
大野市(越前大野)で、それを含めて二度しか行ってはいないのですが、
けんけらの美味しかったあの店も、この時期(大体11月から3月)は
水ようかんを売っているとか。
で、続いては滋賀での分類。
北摂で採れてた寒天を使ったタイプには遭遇してないけれど、
滋賀近江式と云われ「駿河屋」タイプの「蒸しようかん」も
練り直した「でっちようかん」にするタイブがあった町が
西にもありまして。
それが兵庫県の明石市だったのですが。
「でっちようかん」にするタイブは現存してて、こちらの
藤江屋分大のページに大体ある。
で、「蒸しようかん」タイプを売ってた店はローソンに
なってしまって今はない。
でも意地になって(かつて掛紙残ってたので撮影してたかな、と思ったらなかったので)元の掛紙を必至に探した。で、その成果がこれと。
2015年に訪れた時にはあったが、その間(2016年の閏年だった2.29)に
廃業されて、次に行ってみた時にはなかったと。
見つけ出した店名は「子午せん 人丸」でした。
ここのようかんがまさしく「蒸しようかん」タイプで。
羊羹文化の伝播と変遷はこのように遺されてはったのよな、
とも思えた今回の「ブラタモリ東海道五十七次見聞録」
なのでした。
二回目までは再チェックして、若干補助史料もあるので、
「ブラタモリ東海道五十七次見聞録」の三回目はもう少し先になるかと。
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