私の世代が生き残るには酷な時代だったからね。何らかを弔うための記しにでもなれば。心の味蕾(みらい)、って現代詩。
まあ確かに新聞のSCRAPを長らく続けるきっかけになったのは、
大学在学中の只中で野放図な新聞の「筑紫っぽい「じゃあなリスト」を
描いてる人達」に対する温泉気分、とは別種のベースソースを
自分なりに構築することが自分自身にとって必要だな、と思って
徐々に行動に移していったことが今の糧の一つになっている。
その中には自分で自分なりに真っ当な追悼コメントが納得の
いくレベルで書けたらいいな、といふ願望が一つのレベルの
ベースになってもいる。
それくらい1990年代のマスゴミの狂騒ぶりは、私の世代が
生き残るには酷な時代だったからね。
そんなところからは距離を置いて、「夕方の三十分」
っぽく書いた当時の詩が出てきたから、まあこれから一年くらいかけて
阪神・淡路大震災から30年を念頭には置きつつ(史料をぼちぼち掘り出して
みようかとも思いつつ)、弔いも兼ねつつあえて記してみようかと。
大体30年位前に書いた現代詩として、
心の味蕾、を本日はお送りしてみました。
因みに北海道なのでここで出てくる「番茶」は一番茶、二番茶の
本場の方の言い回しではなく、お茶が穫れない地域で
言うところの「ほうじ茶」のことです。
「とみにコトバ」としてはね。
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