丸筒缶の手頃に食べられる糸切り羊羹といえば、なんといっても四の五の言わずに五勝手屋羊羹なのでした。
SCRAP作業にも目処がついて節制収縮期間の出口も
ようやっと陽射しが射し込んできたレベルまでは来たの
ですが、記事に全くコメントが付かないところまで
陥っているのは流石になんとかせねば、ではあるのです
けど修羅場モードもあと少し。
まあ投下してる時間はライブで、を原則にしていますが、
今日はひとまずこちらを投下してもいい時期に流石に
来てるんじゃあないかと。
そして前段としてはこちらにコメントしてた手前、
ってのもまた別にあるので。
【デザイン】感動したお菓子パッケージ|五勝手屋本舗
さんの羊羹|片山 由希子(Yukiko Katayama)|note
ようやくしばらく見つからなかった「五勝手屋本舗」の
丸缶にまつわる記事がポートラムのクリアファイルから
再発見出来た。
つか# 五勝手屋でnoteの検索したら、ちゃんとnoteを
活用してはるんですね。
五勝手屋|note
件の記事はブログに載せてはる方もいるようですがこれ。
でも丸缶のルーツは東京のメーカーなんですよね。
安全アルミを淵源に持つANZEN・PAX 株式会社。
羊羹のパッケージには一項を割いており、そこには
主に竹印製袋(たけじるしせいたい)についての記述しか
ありませんが、写真にもある通り丸缶のパイオニアでも
あったことは前出の記事にも書かれております。
https://www.anzenpax.com/case/yokan/
ANZEN・PAX 株式会社が丸筒型の提供をしているのは
約10社に及び、その古株の一社は北海道産の小豆を
使って「稲荷ようかん」を提供する佐賀県鹿島市の
新油屋が該当すると。
なもので五勝手屋羊羹と稲荷ようかんの並んだ写真には
なってはったと。
後は戦時食料統制の時期に丸筒型のようかんが奨励
されて小城羊羹の村岡総本舗も、東京の虎屋も海軍向けに
丸筒型のようかんを海軍基地へと納めた歴史があるそうで。
東京の虎屋が製造したのは「海の勲(いさおし)」で
虎屋文庫には一本だけ実物が保管されているとか。
村岡総本舗の方は「海の誉(ほまれ)」でこの道は
朝ドラしてた「エール」方面につながっていたのか。
いずれも丸筒型が採用されたもので、よくあてずっぽうで
「衛生的に」とかいろいろ難癖つけられる話もはしばしで
観た記憶はあったけど、なりに創意工夫と意匠の努力は
あって、そこそこ由緒もあるのだなと。
まあ整合性としてこれとこれは符合するの?な案件は
見つけたけれど、そこまで言及出来るか。
何とはなしにこちらの記事では前出の小笠原敏文社長(50)
を6代目と記してはいるけれど。
一方、頻出の塚田敏信「ほっかいどうお菓子グラフィティー」
を引くと。
なので敏文さんの先々代が藤作さんなのが2代目藤作
だとしても隆さんから敏文さんに継承されたとて、
この勘定だと5代目になってしまいそうな。
ま、このあたりはnoteの先に聞いた方がはっきりは
するだろうけどね。
個人的には一期一会で江差に行っても本店に行けたのは
一度だけで、その頃はまだ二階が喫茶スペースっぽく
なってたからそこで道南だと珍しいけの汁か何かを食べた
記憶がうっすらあるような。
いや後に青森の道の駅で食べた記憶があったから、
調べてみると、そうだ。けいらんだった。
今はやはり「五勝手屋本舗」では出しておらずパンフ
紹介だけで作り方を指南するまで。実際提供している
江差のお店は一軒だけだとか。
かわうち湖なんて辺鄙過ぎる(なにしろ大間から抜け道
的に抜けようとしたら国道という名の酷道にアタりまして。
後々調べたらあの階段国道も整備した自衛隊謹製のガッタ
ガタ酷道だそうで)道の駅まで辿り着いて食べた名物は
確かにこのけいらんでしたっけ。
まあでも丸筒缶の手頃に食べられる糸切り羊羹といえば
なんといっても四の五の言わずに五勝手屋羊羹なの、でした。