読書感想 雑食動物のジレンマ/マイケル・ポーラン
ChatGPTに「アメリカの主食は何だ?」と質問すると、次の答えが返ってくる。
1、ハンバーガー
2、ピザ
3、フライドチキン
4、ホットドッグ
「主食」といえば、日本でいえば「米」。西洋では「小麦」。ジャガイモが主食というところも結構ある。主食といえば特定の作物・収穫物のことを指すが、「アメリカの主食」と尋ねるとそういう答えが返ってこない。加工されて出てくるものが答えになってくる。
しかしマイケル・ポーランは「トウモロコシ」こそアメリカ人の主食ではないか……そのように主張する。
私たちの食べ物は、いま多くが「工業化」している。その構造はあまりにも複雑なので、その出自がどこでなんなのか、専門家ですら答えるのは難しい。ただ、たいていの人々は食べ物をどこから得るのか……というとスーパーマーケットやファストフード店ということになる。そのスーパーマーケットやファストフード店に並ぶ食べ物を遡っていくと、どこへ辿り着くのか……。マイケル・ポーランは全米の様々な州を訪ね歩き、長い道のりを旅した。その結果、終着点はいつも同じところだった。それはアメリカ中西部のトウモロコシ栽培地帯コーンベルトの農場だった。
アメリカのスーパーマーケットの多様性は、ある一つの生物学的基板に頼り切っている。それは学名ゼア・マイス――トウモロコシである。
トウモロコシはステーキになる牛だけではなく、七面鳥、子羊、養殖ナマズやテラビアの飼料となる。本来肉食のサケも、トウモロコシを飼料にできるよう、遺伝子操作を行っている。乳牛もトウモロコシで育つので、牛乳やチーズやヨーグルトも原料はトウモロコシだといえる。
マクドナルドのチキンナゲットは鶏から作られるが、その鶏の飼料もトウモロコシだ。つなぎは加工コーンスターチ、ころもはコーンフラワー、揚げ油はコーン油。膨張剤のレシチン、モノグリセリド、ジグリセリド、トリグリセリド、きつね色に仕上げるための着色料、風味を保つためのクエン酸……すべてトウモロコシから作られる。
ナゲットを買ったら当然ドリンクも買うことになるが、それもトウモロコシから作られている。1980年代からほとんどの清涼飲料に異性化糖製品の高果糖コーンシロップが使われている。名前からわかるようにトウモロコシが原料だ。たいていのドリンクは水とトウモロコシで作られている。
ビールもトウモロコシだ。トウモロコシから精製されたグルコースが発酵したアルコールが主成分となっている。
他にも加工食品にはトウモロコシがてんこもりだ。加工デンプン、非加工デンプン、グルコースシロップ、マルトデキストリン、結晶果糖、アスコルビン酸、レシチン、ブドウ糖、乳酸、リシン、麦芽糖、高果糖コーンシロップ、グルタミン酸ナトリウム、ポリオール、カラメル色素、キサンタンガム……すべてトウモロコシが原料だ。トウモロコシから作られる加工品は他にも山ほどある。
アメリカの平均的なスーパーには4万5000種もの商品があるのだが、その4分の1にトウモロコシが入っている。食品だけではない。歯磨き粉から化粧品、紙おむつ、ゴミ袋、洗剤、豆炭、マッチに乾電池、雑誌の表紙に使われる光沢……すべてトウモロコシだ。他にも実はトウモロコシから作られるという商品は山ほどある。
メキシコに住むマヤ民族は今でも自分たちのことを「トウモロコシの民」と呼ぶ。それは9000年間トウモロコシを主食としてきたからだ。メキシコ人の一日の食事から取るエネルギーの40%がトウモロコシだ。それでメキシコ人は「自分はトウモロコシだ」「歩くトウモロコシだ」という言い方をしている。
この考え方をアメリカ人に当てはめると、「アメリカ人は歩くトウモロコシだ」ということがいえる。
確かにアメリカでの1人あたりの摂取量で見ると小麦のほうが多い。年間1人あたり小麦粉消費量は52キロに対し、トウモロコシ粉は5キロだ。ところがアメリカ人の体を分解し、体の組織や毛髪の同位体などを調査すると、もっとも多く出てくるのは炭素同位体13Cだ。トウモロコシを構成する炭素原子である。アメリカ人は炭素レベルで分解すると、トウモロコシから成り立っている……と言えてしまえるのである。まさに「歩くトウモロコシ」である。
しかし最初に「アメリカの主食は何だ?」と尋ねた時にトウモロコシが出てこず、ハンバーガーやピザやホットドッグが出てくる。実はほとんどのアメリカ人は、自分たちはそれくらいトウモロコシを口に入れている……ということを知らない(AIですら知らない)。なぜなら食品の世界も工業化しており、その生産の場が工場の向こう側になっている。普通に暮らしていたらそれぞれの原料がトウモロコシだ……ということなど、一生知ることのない世界になっているのだ。
トウモロコシの「歴史」を見てみよう。
トウモロコシに野生種というものは存在しない。トウモロコシの野生種はテオシントといって、そのテオシントに突然変異が起きてトウモロコシが生まれた。この変異によって先端部にあった雌雄性器官は茎の中心に鞘を持つ巨大な穂となり、雄性器官はそのまま雄穂(ゆうすい)となった。
雄穂が茎の中心部に移ったことで、栄養素が先端にあるときよりも多く採り入れられ、多くの種を作れるようになった。ただ、このためにトウモロコシは進化の袋小路に入り込んでしまう。ご存じのようにトウモロコシは全体が固い皮で覆われて、その中で発芽すると中でぐちゃぐちゃ……となってしまい、芽が出ないまま死んでしまう。誰かに皮を剥いてもらわなくてはならない……という難儀な植物となってしまった。
このままいけば、トウモロコシは「進化の行き止まり」にぶつかって絶滅するはずだった。ところがそんな時、人類がトウモロコシを発見した。
1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見する。その翌年、コロンブスはカスティーリャ王国に帰還し、イザベル1世にこのトウモロコシを献上している。この時は新大陸で発見された「神秘的な作物だ」という報告であった。
(カスティーリャ王国 現在のスペインに中世時代にあった王国。後のスペイン王国の中核となった。またカスティーリャは「カステラ」の語源でもある)
1621年、新大陸にわたったピルグリムたちは先住民からトウモロコシの栽培法を教わり、すぐにその価値に気付く。
(ピルグリム ピルグリム・ファザーズ。イングランド王兼スコットランド王ジェームズ1世による弾圧を恐れて、アメリカにわたったイングランドのピューリタン(清教徒)のこと)
というのもトウモロコシは短期間で育ち、しかも収量が非常に高い。例えば小麦が1つの種から50粒しか実が採れないのに対し、トウモロコシは150~300粒も採れる。費用対効果が圧倒的だった。トウモロコシはもともとは「ゼア・マイス」と呼ばれていたが、すぐにインディアン・コーンと呼ばれ、コーンはトウモロコシを言い表す名前となった。 (コーンとはもともと「粒」を指す言葉だった。塩の粒ももとはコーンといっていた。塩漬け肉のことを「コーンビーフ」と呼ぶのはその名残)
アメリカはもともと「植民地」だった。ヨーロッパに送る食料を生産する場だった。ヨーロッパ貴族が食べるための牛や豚や小麦といったものが本国から送られ、そういったものを育て、送り返していた。しかし気候的問題で小麦はなかなか育たなかった。実っても収量が低く、小麦を育てていた入植地で全滅という事態も起きていた。
そこでトウモロコシだった。トウモロコシはもともとアメリカの環境に適応しているというのもあったし、さらに収量が非常に高い。乾燥させると半永久的に保存できるし、潰して粉にできるし、発酵させればビールやウイスキーも作れる。作物として超優秀だった。トウモロコシという圧倒的に高い収量があったから、開拓者たちは力強い国を作れた……という言い方もあった。
だがそれゆえに、負の歴史を作っていく。アメリカ入植者達は、先住民からトウモロコシを収奪し、そのうえで先住民を迫害し始めたのだった。
ここからの話は実際のトウモロコシ農家であるジョージ・ネイラーから話を聞こう。愛用しているトラクターは1975年製だ。ジョージ・ネイラーは27歳の頃、実家があるアイオワ州グリーン郡に戻り、はじめは手伝いという形で農家を始めた。トラクターはその頃に購入し、現在までも使い続けている。
所有している土地は190ヘクタール。この土地でトウモロコシと大豆が生産され、ここだけで129人分の農産物を作り出している。労働者1人あたりの生産高で計算すると、ネイラーの農場は史上最も生産的だといえる。
ところが現在のネイラーは破産寸前で、129人ぶんの食料を生産していながら、家族4人を支えることすらできない状況に陥っている。実際にネイラーは州から支給される補助金頼みでどうにか暮らしている……という状況だった。
ジョージ・ネイラーの働く様子を見てみよう。ネイラーはまる一日トラクターに乗り込み、その一日で65ヘクタール分のトウモロコシの作付けをする。この日播いた種はパイオニアハイブリッド社製の34H31だ。イールドガードの品種ではない。
イールドガードとはモンサント社(出たなモンサント社!)が開発した遺伝子組み換えトウモロコシで、その種を使えば優れた高収穫となる。ところがモンサント社製の作物は「種」を作らない。一回きりなのだ。毎年モンサント社から種を買わねばならないし、しかも収量はじわじわと下がっていく。高収穫になるのは初年度だけなのだ。
モンサント社提供の農薬を使えば、その年は雑草がすっきり刈り取れるが、さらに強力な雑草が生えてきて、翌年はモンサント社提供の強化された農薬を買わねばならない。農家は毎年モンサント社からプレミアム価格の種と農薬を買わねばならなくなり、その出費で収益を超えてしまうという。
そういった事情もあって、ジョージ・ネイラーはモンサント社遺伝子組み換え種子は使わない。「モンサント社の悪徳商売に手を貸すのは真っ平ごめんですよ」とネイラーは語る。
それでもジョージ・ネイラーはこの畑で1エーカーあたり180ブッシェルのトウモロコシを生産する。1ブッシェル25.4キログラムだから、1エーカーあたり4.5トンも生産していることになる。
この畑はネイラーの祖父の頃に買った土地で、その1920年頃は1エーカーあたりの生産量は約500キロくらいだった。それから100年後の今、品種改良の果てに同じ面積で4.5トンも生産できるようになった。これも日々の努力の賜物である。
しかしどうしてネイラーはこんなにもトウモロコシばかり生産するようになったのだろうか。話を1970年代ニクソン政権時代に戻そう。 アール・ラウアー・バッツ。ニクソン政権時代の2人目の農務長官である。バッツといえば遠慮のない物言いや下品なユーモアで農家の味方だと考える人が多かった。だが彼が食品会社ラルストンピュリナ社の役員だったという事実を考えれば、その真意がどこにあったかは明らかだ。
1972年の秋、旧ソ連が壊滅的な凶作に見舞われて、アメリカから2700トンの穀物を買い付けることになった。バッツはこの機会に穀物の価格をつり上げて、農村からの選挙票を集め、共和党ジョージ・マクガバンを勝たせようとした。この計画はあまりにもうまく行き過ぎて、同時期に穀倉地帯が不作に陥り、穀物価格は史上最高値を記録する。
1972年の旧ソ連による穀物買い付けと、農家の増収入は、農家の票を集めてニクソン大統領を再選させるほどの力となった。ところが翌1973年、食品価格が跳ね上がり、食料品インフレ率史上最高値を記録するほどになってしまい、主婦層から抗議デモが起きた。農家は飼料を買うことができなくなり、中流家庭もまともな食べ物にもありつけない事態となってしまった。
ニクソン大統領はこの騒動を収めよ、とアール・ラウアー・バッツに命じる。バッツはニューディール政策の農産物価格安定政策を取り壊し、農家に柵から柵まで耕せ、拡張しないなら廃業だと勧告した。1973年に施工された農業法では融資による価格安定、政府による穀物買い上げ、休耕地などの政策を取りやめ、農家への直接支払いという新しいシステムへと移行した。
農家にとってしてみれば、トウモロコシの価格は下がっても、政府が目標価格を保証してくれる。安心の政策と思われたが……バッツはこっそり穀物価格の下限を撤廃していた。政府はどんな価格でも、農家はトウモロコシを売るように奨励する。市場価格が目標価格よりも安くなってしまったら、そのぶん政府が保証する。……ということだったが、実際に目標価格も引き下げられ、支払われる差額分というのはごくわずかだった。
アメリカの農家はこの時、何が起きたのか理解できていなかった。トウモロコシの価格は市場原理に任される。だからより多く作って売れば儲かる……と思い込んでいた。ところが実際に起きたのは、トウモロコシの価格破壊だった。作れば作るほど農家は借金を積み重ねていき、破産していく。収入を出すためにはよりトウモロコシの収量を上げなければならないが、多く作れば作るほど市場価格は下がっていく。
農家は地獄のスパイラルに突入していくことになる。農家は破産して諦めるか、その場にかじりついて翌年の収量を上げるしかない……という状況になっていく。
そんな状態なのに、なぜトウモロコシを作り続けるのか。それはトウモロコシが工場的食物連鎖の一番下だから。色んなものに使えて、効率的にエネルギーが摂れるからトウモロコシに需要がある。
それに市場がトウモロコシしか買い付けてくれない。ブロッコリやレタスなんて作っても、誰も買ってくれない。買ってくれるのはトウモロコシと大豆だけ。市場のニーズがそこしかないのだから、えんえんトウモロコシを作るしかなくなる。
ネイラーはこう語る。
「農業はいつだって政府が管理しているんです。問題は、誰の利益のために管理しているのかってこと。今はカーギル社とコカ・コーラ社ですよ。農家のためじゃない」
だからネイラーはいまだに1975年製トラクターに乗るのだった。
アメリカの農業政策は農家だけにダメージを与えているのではない。休耕地を作らず、敷地面積一杯までトウモロコシを作り続けよ……そんなことをやったら、土地の栄養はどんどんトウモロコシに吸収されていく。残るのは栄養が尽きてカスカスになった土だけだ。
そんな状況を防ぐために、大量の農薬を散布することになる。土の栄養素といえば窒素であるが、これを過剰に散布し続ける。すると土で吸収しきれなかった窒素はやがて川に溢れ出すことになる。ネイラーの農場から窒素がミシシッピ川に流れ出て、さらにメキシコ湾へと流れていく。すると藻類が異常繁殖しはじめ、魚が窒息死する。
トウモロコシを作り続けられる状況にするためには、環境も破壊していかなければならない。農家自身も負のスパイラルに陥るが、自然環境に対しても負のスパイラルに陥るのだった。
では次に、こうやって生産されたトウモロコシがどこへ行くのか見ていこう。
アメリカの農家で生産されたトウモロコシの大半は、2つのある企業の中へと入っていく。カーギル社とADM社だ。
この2つの企業はトウモロコシにかかわるほとんどの産業に関わっている。農家に農薬と肥料を提供し、農家が納品するトウモロコシ倉庫を運営し、輸出分を仲介・輸送し、湿式、乾式製粉を行い、家畜に飼料を与え、肥育されたその家畜を処理し、エタノール蒸留し、第2級フィールドコーンから高果糖コーンシロップや、その他多くの加工品を製造する。さらに政府にもロビー活動をし、農業政策にもだいぶ介入している。結局のところ、政府から補助金を受け取っているのは農家ではなく、こういう“穀物メジャー”と呼ばれる企業なのだ。
ではこういった加工工場に入っていったトウモロコシの“運命”を見ていこう。
まず子実(粒)の分解から始まる。まず黄色い種皮はビタミンや栄養補強剤に加工され、胚芽は粉砕され油に、最も大きい部分である胚乳からは豊かな複合糖質分が奪い取られていく。
粒の大部分を占める糖質分、つまりデンプン質は、さらに無数の炭水化物の分子に分解される。酸、糖、デンプン、アルコール……その他何百もの有機化合物に分解されていく。具体的にどんなものに加工されていくかというと――クエン酸、乳酸、グルコース、果糖、マルトデキストリン、エタノール、ソルビトール、マンニトール、キサンタンガム、加工デンプン、非加工デンプン、デキストリン、シクロデキストリン、グルタミン酸ナトリウム……食品の「原材料」のところでよく見かけるある加工品だ。どれも元・トウモロコシだったものだ。
難しい話になるが、トウモロコシが分解されていく過程を見ていこう。
トウモロコシが工場にやってくると、少量の二酸化硫黄が入った水に36時間浸漬される。この硫酸水によって子実が膨張し、まわりのタンパク質からデンプンが分離する。浸漬のあと、膨らんだ子実が粉砕される。
胚芽は弾力のある状態になり、簡単に落ちる。スラリー(懸濁液)をハイドロクロン(遠心分離機)に入れて、胚芽を分離する。乾燥後の胚芽から、搾油してコーン油が作られていく。
コーン油は料理用やサラダ用のオイルとして利用される。あるいは水素添加されてマーガリンなどの加工食品となる。
胚芽が分離され、子実が粉砕された後にできるのは、ミルスターチと呼ばれる白くどろっとしたタンパク質とデンプンの液体だ。これが遠心分離機に投入され、タンパク質が取り除かれる。こうしてできた白色スラリーは、棚式乾燥機に注がれて乾燥し、コーンスターチとなる。
このコーンスターチをさらに分解し、甘味料であるコーンシロップが作られる。ショ糖の代用品である。
スラリーは他にも様々な製品が作られる。接着剤、コーティング剤、サイズ剤、プラスチック、食品用には安定剤、増粘剤、粘土調整剤……。
ブドウ糖のシロップは一部はコーンシロップとして使われるが、他にはマルトデキストリンや麦芽糖などを作るために使われる。コーンシロップの大半はグルコースイソメラーゼ酵素が投入され、イオン交換フィルターを通って果糖となる。ブドウ糖の残りは発酵タンクに入れられ、酵母菌かアミノ酸に糖を食べさせ、数時間おくとアルコールが醸造される。このアルコールはエタノールとなる。自動車のガソリンタンク内の1割は元・トウモロコシなのだ。
こうして分解された元・トウモロコシだったものは様々な食品メーカーに送られて、それぞれの商品として組み上げられていく。スーパーマーケットに並んでいるありとあらゆる商品だ。
アメリカ人が「トウモロコシだ」と思って口にするものは、年間1人あたり25キロ程度だ。しかし実際に口の中に入れているのは900キロにもなる。アメリカ人は自分たちでも気付かないうちに、大量のトウモロコシを食べ、遺伝子レベルで「歩くトウモロコシ」となっているのだ。
本の感想
普段は漫画とアニメしか興味を持たないような私がどうしてこんな本を読んだのか。切っ掛けはとあるドキュメンタリーだった。
そのドキュメンタリーは「アレルギー」をテーマにしていたのだが、とあるピーナッツ農家の場面が出てきて……
「昔はピーナッツ・アレルギーなんてものはなかったよ」
と老人が語り、その隣にいた娘らしき女性が、
「ピーナッツ・アレルギーが出てきたのは私たちの世代からよね」
と話す場面があった。
確かに私の子供の頃は、ピーナッツ・アレルギーは「珍しい奇病」という扱いで時々テレビで紹介されるようなものだった。
ところがピーナッツ・アレルギーを持つ人々は少しずつ増えていき、やがて「珍しい奇病」ではなく、ある種の社会的地位を持つほどになっていく。
そうすると大打撃を受けていたのは実はピーナッツ農家だった。その以前はピーナッツを元にした加工品は食品市場に山ほどあったし、アピールされていなくてもピーナッツが入っている商品も山ほどあった。それらが軒並み売れなくなっていく。食品加工工場から避けられ、レストランに売り込んでも拒否され……社会からピーナッツを隔離するような状態が起きてしまった。今はピーナッツの売り上げは最盛期の10分の1以下だという。ピーナッツの現在のポジションは、食品や嗜好品というより「危険な食品」という扱いとなっている。
このドキュメンタリーで見たお話しは私の中でそれで終わりだった。何となく頭に引っ掛かるものはあったのだけど、それ以上深掘りしようというつもりはなかった。
「アレルギーなんて昔からあった。最近出てきた……という認識は間違いだ」
という言う人々は多い。まあそうでしょう。ただ引っ掛かるのは「増えてないか?」ということ。
いやいや、それは社会がアレルギーというものを認知し、企業が「配慮してますよ」とアピールしたからで、増えたように感じられるのは気のせいだ……という意見もある。どっちが正解だろう。
Amazonでアレルギーに関する本を検索すると、そういった専門書は山ほど出てくる。しかし、それらの本は概要を読むと、「この食品にはアレルギー物質が入ってますよ」という注意を促すような本、危険な食品をいかに避けるか……ということに重点が置かれている。そもそものアレルギーの起源的な話をする本は見つからない。
数年前に見た「アレルギー」を題材にしたドキュメンタリーを急に思い出したのは、とあるYouTube動画を見たからだった。現代人のアレルギー問題は、食品がおかしくなっているからだ。遺伝子操作の食品に、大量の添加物。こういったものを口にするせいで、私たちの身体がおかしくなっているからだ……とその動画では語っていた。
確かにそうかも知れない……。そこで私は食品問題に深入りしてみようと思いつき、まずその動画で語っていた人の本を買ってみたが――ハズレだった。食品問題の話はそこそこに終えて、後は陰謀論の話がえんえん続く。今の日本がこうなったのはディープステートの陰謀だ、ユダヤ人が世界を操っているんだ……というだいぶトンチンカンな本だった。
おかしいな、YouTube動画ではまあまあ普通っぽく見えたんだけどな……。
こりゃいかん。別の本を探してみよう。それで行き当たったのがこの本だった。
それで、最初の引っ掛かりだった「アレルギーの問題」はこの本では一切出てこない。その代わりに、アメリカの食品業界がだいぶおかしなことになっている……ということが語られていた。
まず最初に書かれていたのは、トウモロコシ栽培を維持するために作られたいびつな政策。その政策のために農家が借金しながらトウモロコシ栽培を続け、その結果土地の栄養は枯渇し、栄養を取り戻そうと過剰に農薬を与えた結果、周囲の自然が汚染されていく……。
そうして利益を得るのはトウモロコシ加工を請け負う企業だ。バッツが1973年に施行した政策によって、農家はトウモロコシ作りに追い回されるようになり、農家がヒイヒイ言ってトウモロコシを作れば作るほどトウモロコシの値段が安くなる。値段が安くなれば、加工業者が潤う。なにしろタダ同然のトウモロコシが大金を生み出してくれるわけだから。例えば4セントぶんのトウモロコシで4ドルの加工食品になる。まさに“錬金術”だ。
農家のほうから「この政策はおかしいのではないか」という意見はだいぶ出ているが、企業は政治の世界にロビィストを送り込み、「農家の言い分を絶対に聞くな」と政治家達に釘を刺して回っている。大企業にとって大事なのは、いかに自分たちだけが儲かるシステムを維持し続けられるか……だ。
農家が破産する? 自然環境が破壊される? そんなことは知ったこっちゃない。それよりもいま儲かることのほうが大事なんだ! だいたい破産する農家は競争に敗れただけで自己責任だ! ――と頭のいい人ほどそう考える。いつか巡り巡って自分に降りかかってくる……とは考えもしない。それが高学歴エリート達の限界だ。
過剰に作られたトウモロコシは、家畜の飼料となっている。牛、豚、鶏のエサだ。しかし特に牛などは、草が主食である。その体も草を食べるように進化している。牛は草を食べると第1胃内で発酵し、大量のガスを作り、そのガスをゲップとして排出する。牛がトウモロコシを食べると、この反芻とゲップがとまり、第1胃にガスが溜まっていく。第1胃は風船のように膨張し、この膨張のせいで他の臓器を圧迫し、呼吸困難に陥っていく。
すると牛に異常行動が現れるようになる。腹をかきむしり、土を食う。下痢、潰瘍、肝疾患、免疫力の低下が起きて肺炎やコクシジウム症、腸性毒血症などを患う。そうなるとわかっているから、アメリカ人はトウモロコシとともに抗生物質を大量に食わせている。アメリカで売っている「安い牛肉」というのは、こういう「病気の牛」だ。
トウモロコシを食べさせるとそうなるとわかっているのに、どうして食べさせるのかというと、トウモロコシは草にくらべて圧倒的にカロリーが高く、牛が太るからだ。牛を短期間に太らせて、大きくして、早く出荷する。昔は牛が食べられる状態まで大きくするのに4~5年かけていた。それが今では15ヶ月前後だ。工場側にとって“効率がよい”から牛にトウモロコシを食べさせる。
そのうち食べるもの……といっても牛も豚も鶏も「生き物」だ。だが工業化した食の現場ではこれらを「生き物」として扱わない。牛も豚も、生まれるとすぐに親元から離され、1歩も身動きできないような棺桶のような場所に放り込まれ、ひたすらにトウモロコシを食べさせられる。生き物だから食べたら「排泄」するわけだが、それはどうしているかというとその場に出しっ放し。やがて牛も豚も、自分の糞尿に膝まで浸かりながら、ひたすらトウモロコシを食べさせられ続ける。ほとんどフォアグラだ。当然ながら牛もストレスを感じるので、異常行動が現れるようになる。こうした工場の周囲も、牛や豚の糞尿まみれになっていく。誰も処分しない糞尿で、やはり周囲の自然が汚染されていく。
スーパーマーケットで「安く買える」というのは、こういう実態が背景にあるからだ。企業は大儲けして、消費者は安く買える。一見Win-Winの関係に見えて、現場で低賃金で働く人、環境汚染、そして消費者の健康が犠牲になっている(そんな病気の牛や豚を食べて健康でいられるわけなかろう)。
そうした「工業化した家畜」に対する救世主のように言われているのがオーガニック食品だ。一時、日本でも「コンビニ食は添加物だらけで危険! オーガニック食品を食べよう!」みたいなニュース記事が山のように出てきて、なんか胡散臭い……と思っていたがやっぱり“裏”があった。というか、スーパーマーケットのような場所に均質な商品を大量にパッケージして並べなければならない……という事情から「食品の工業化」は避けられない。この本ではそういった「エセ・オーガニック食品」のことを「工業的オーガニック」と呼んでいた。
どうやら工業的食品よりかはいくぶんかはマシのようだけど、それも「多少は」というレベルでしかないようだ。
オーガニック食品ももともとは「よい農産物を消費者に」という美しい理想があったようだけど、どうしてこうなったのか。それは儲からないからだ。オーガニック推進者だって儲けたい。より多く儲けを出すために、やはりロビィストが政治の世界に送り込まれ、規制をどんどん緩くしていく。企業がより大きく儲けを出すために、思想も理想も破壊されていく。この世の中、企業利益がすべてなのだ。
そういうエセ・オーガニックを流行らせたいために、企業はライターを雇って「オーガニックは安全だよ」と広告していたわけだ。
当たり前だが、企業にロビィストを送り込んでいる大金持ちはスーパーの食品もオーガニック食品も買わない。どっちの食品も危ないと知っているからだ。直接農家から食べ物を買い付ける。
消費者の健康だと? そんなの知ったこっちゃない。でも自分は助かりたいから、安い食品は買わない。儲かりたいから、危険な方法で食品を作り、それを貧乏な人々に買わせる。私たちの上に君臨している人々というのはそういう連中だ。
それでもどうしても「本当のオーガニック」を食べたければ、農家から直接買い、鮮度のいいうちに食べる。
……そんなの、無理だよ……。特に都会に住んでいる人たちには。
マクドナルドの食品。これを質量分析計にかけて、商品中の炭素量を計ってみると、次のようになる。
清涼飲料水ー100%トウモロコシ
シェイクー78%トウモロコシ
ドレッシングー65%トウモロコシ
マックナゲットー56%トウモロコシ
チーズバーガーー53%トウモロコシ
フライドポテトー23%トウモロコシ
ハンバーガーやナゲットに大量のトウモロコシが出てくるのは、鶏や牛にトウモロコシを食べさせているからだ。驚くのはドリンク類。水以外は着色料、甘味料、ともにトウモロコシ由来だった。
マクドナルドのサイトを見ると、メニューの製造法は世界共通ということだった。日本のハンバーガーはオーストラリア牛なので、アメリカのハンバーガーと飼育法は違うが、とりあえずドリンク類は主にトウモロコシから作られている。
(ハンバーガーが「チーズバーガー」ではなく「テリヤキバーガー」なのは、撮影のためにマクドナルドへ行ったとき、どうしても食べたくなったから。チーズバーガーだと思って見てほしい)
現在のアメリカで農家をやっているのは全体の2%だという。たった2%で3億人の胃袋を満たし、さらに海外に食品を売っている。それだけ効率のよい食品を生産している……ということである。しかし効率を優先しすぎるゆえに“いびつさ”も抱えることになる。
しかしだからといって、いきなり今の仕事や生活をやめて、みんなで農業をやろう……というわけにはいかない。私たちはどうにもならない状況に陥っているのだ。
最初の疑問である「現代人のアレルギー」の問題について、この本には一切答えは書いてない。しかしこれだけ危なものを食べていて、私たちが健康であるわけがない。アメリカ人の体を分子レベルまで分解すると、トウモロコシが大量に出てくるように、生き物の体は自分が食べるもので構成されている。過剰な農薬に汚染された農産物や、病気の牛や豚を食って健康でいられる……そんなわけはない。それが現代人のアレルギーに直接結びつくかわからないが、原因の一つとして考えてもいいだろう。
本書はそういう現代の工業化した食品の暗部ばかりを描いている本ではない。後半に入り、本当の意味で「理想的な食料生産」について書かれている。牛も鶏も健康的に育ち、最後には美味しく食べられる……という理想的なストーリーも描かれている。
頭のいい人から見れば、「理想的な食料生産」は「生産性が悪い」「効率が悪い」と批判することだろう。実際、アメリカの企業は理想的な食料生産をいかに破壊しようか……と画策している。規制を作って、健康的な食品がスーパーに並べられない……くらいのことをやっている。なぜならそんなものが流行ったら、自分たちの作る食品が売れなくなるからだ。
だが効率や生産性は時には無視したほうがよい。安全で良質なものを作る時には。これは食品にかかわらず、なんにでも言える話だけど。
『雑食動物のジレンマ』は私たち人類を指している。私たち人類は困ったことに、何でも食べることができる。なんでも食べようとしてしまう。ゆえに迷う。「今日は何を食べようか」。なんでも食べられるといっても、食べるものには理想や思想が関わってくる。イスラム教徒が豚を食べないように、私たちはどんなに飢えても○○は食べない……というものがある。それが健康を害するとかそういう話ではなく、生理的に嫌だからだ。
他の動物たちは食べるものに悩むことはない。牛は草しか食べないし、コアラはユーカリしか食べない。パンダは笹。食べるものは決まっている。人間だけが悩む。
だから人間は知能が発達したんだ……という説もある。原人は調理することによって脳に向かうエネルギー量が増えて、胃腸が短くなり、ついに直立するようになったのだ……という説がある。本当かどうかわからないけど。
なんでも食べられるから悩む。なんでも食べられるから逆にそれで健康を壊すこともある。人類はこれからも食べるものに悩み続ける。それは人類が背負った宿命のようなものだった。