パワハラと自我の境界線 ストラテラ服用日記418日目
日本ではミスをしたときに、ミスをしたやつが悪いんだから(感情に任せて)怒鳴りつけても良いという不文律のようなものがある。もうそういうのは無くなった会社もあるけど。
発達障害は、激しい叱責や怒鳴り声に極端に弱い。高いストレスを受ける状況では体感3割程度しか脳が働かないし、場合によっては緘黙になってしまう。
本来は、ミスや失敗した場合に必要なのは原因究明と再発防止であり怒鳴るという過程は必要ない。こちらのミスや失敗で迷惑を被った人が感情をぶるけるために怒鳴ったり怒ったりするだけだ。
(指導のためという方もいるが、指導のために怒鳴り声は必要だろうか?指導のためと言うなら理解させることを最優先にすべきで、罰則的なものは必要ない)
この中でパワハラ気質的なかたからの叱責の中には、明らかに過剰な表現が入ることがある。
必要ないプライベートの介入や、人権侵害や人格否定につながるような表現をされたという話はいたるところでお聞きして心が痛くなる。
変えられるのは自分だけで相手は変えられないという前提条件を考えれば、自分が相手の言葉に傷つかないように心を変えていく必要がある。
そのときに必要なのが、このNOTEで何度も言っている自我の境界線だ。
ミスや失敗で反省点は引き受ける。でもそれ以上は弾き返すようなイメージだ。
そしてもし、自我の境界線を相手が侵食したときは怒っていい。
大いに怒っていい。ただし、その怒りをすぐに相手にぶつけるか、後で何かで発散させるかはよく考えて。
私が言いたいのは、自分が悪くて怒られて人権侵害されても文句は言えない、怒ってはいけない、と思いこむことは無いということだ。
怒りを握りつぶすと、自分の心にかなりのストレスを与えることになる。それはよくない。正当な怒りがあり、その怒りは感じていいし、外に出していい。
つまり、相手からの傷つけるような言葉を受け付けない心を手に入れる、それでも自分を侵害された場合は何かしらの怒りの発散をする。こういう事が必要だと思う。
最後に、最近私が読んでぐっと来た言葉を紹介します。
「あなたの許可無くして誰もあなたを傷つけることはできない」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?