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噛めば噛むほど味わえる

「人間の建設」

あるYouTube番組で脳科学者の茂木健一郎が言いたい放題に語っていて面白かった。その中で「東大には1割ぐらい、受験頑張って入学したわけじゃない、ノーベル賞取ろうとか思っているガチ勢がいる。俺も塾も行ったことないし」みたいな話をしていて、要するに本当に頭のいいヤツの考えていることは凡人にはわからない、それぐらいのことを言っていた。
でもその口調から嫌な感じを受けることはなくて、逆に凡人に分からないような頭脳ってどんな感じなのだろうか、なんて。
で、ネット検索で見つけたのが「人間の建設」という文庫。あとがきが茂木健一郎だったこともあり即購入。僕が生まれた1960年代に行われた小林秀雄と岡潔の対談本だった。
「考えるヒント」で有名な批評家で作家の小林秀雄。岡潔という人はまったく知らなかったが高名な数学者らしい。

”半世紀前の知の巨人対談”。

読後感。これが不思議。
まず「なんじゃい、こりゃ」。
そして、理解できそうなくだりだけ捲り返してみたら、最初はピンと来なかったくだりに妙に頷けたりするのだ。
まだ半分も理解できていないと思うけど、凡人だから仕方ない。

しかし噛めば噛むほど味が出てくる。
不思議な文章。
少し抜粋してみた。

人間と人生への無知
<途中略>
岡 情緒というものは、人本然のもので、それに従っていれば、自分で人類を滅ぼしてしまうような間違いは起きないのです。現在の状態では、それをやりかねないと思うのです。
小林 ベルグソンの、時間についての考えの根はあなたのおっしゃる感情にあるのです。
岡 私もそう思います。時間というものは、強いてそれが何であるかといえば、情緒の一種だというのが一番近いと思います。
小林 そういうふうにベルグソンは考えているわけですね。それで、どうしてアインシュタインと衝突したかというと、
…<途中略>

岡 …素朴な心に返って、時とはどういうものかと見てみますと、時には未来というものがある。その未来には、希望をもつこともできる。しかし不安も感じざるを得ない。まことに不思議なものである。そういう未来が、これも不思議ですが、突如として現在に変る。現在に変り、さらに記憶に変って過去になる。その記憶もだんだん遠ざかっていく。これが時ですね。時あるがゆえに生きているというだけでなく、時というものがあるから、生きるという言葉の内容を説明することができるのですが、時というものがなかったら、生きるとはどういうことか、説明できません。そういう不思議なものが時ですね。時というものがなぜあるのか、どこからくるのか、ということは、まことに不思議ですが、強いて分類すれば、時間は情緒に近いのです。
新潮文庫「人間の建設」より抜粋

時間は情緒。
わかるようなわからないような。

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