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カタマヒのクソ面白くもない無常な日々

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右片麻痺還暦オヤジ。とにかくなるべく書きます。 読んで下さい、救って下さい。
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#介護

親とは

子供のいない俺が考える。
元々親に恩など感じる必要はない。
この世界で、産んだ者が育てるのは当たり前のことなのだから。
本当に子供のことを考えるならば、子供の自立以外には何も望んだりはしないだろう。
自分の人生によくない影響を与えるような口出しをしたり、行動に出たりした場合には、親と言えども迷うことなく切り捨てるべきだ。
その方が双方共に良い結果が得られるだろう。
ハッキリ言って俺の親は毒親だった

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介護体験

熊本地震の後、ほどなくして両親の介護が始まった。長いこと、熊本の実家には帰ってなかったが、東京で脳出血を起こして入院、熊本の病院に転院となった。ニ級身体障害者の右半身麻痺という大きな障害が残ったが、結局、両親の元に戻ることになったのだ。

あまり帰ることもなく、20年近くも離れていたので、久しぶりに見る両親は当然、老いて見えた。近くの診療所の定期検診で、最初に軽い認知症と診断されたのは親父だった。

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親の介護とは

いつもの時間に目が覚めた。
まだ外は薄暗く、静かで、朝のスズメの声を聞くには少し早い。
ゆっくりとカラダを起こし、呼吸よりも早く、掛け布団がめくれる音、皮膚に擦れる音で、まだ生きてることを実感する。
「むぅ、また同じか…」。
一二は今年85歳になった。20数年前まで公務員として役所勤めをしていた。
公休以外ほとんど休むこともなく、勤勉に最後まで勤め上げたという事実は、充分、今でも自慢できると思って

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井戸端会議

昨日、庭仕事をしてた隣人のオバサン(俺と同じ片麻痺の旦那の奥さん)に、母が溜め込んでた倉庫にあった庭の肥料をあげて、しばし井戸端会議。

70代かと思ってたオバサンが、すでに80代半ばだったことにも驚いたが、動かないから足腰が弱って、家では“内弁慶”になってる片麻痺の旦那へのグチを聞いてあげた。

まったくウチの親父と同じで、「基本的に歳を取った男はお荷物となってダメなものと思って」とアドバイスし

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認知症

また認知症の両親に苦労させられる夢を見ちまったが、思えば、認知症の始まりと思われる出来事は、父親は小銭の計算ができなかったことで、母親はやたらとそこらにつまずくことだった。

父親は、テーブルに出した小銭について「いくらある?」と聞いたら、一枚一枚数えるけど「わからん!」と投げ出した。母親は、とにかく同じところに何回もけつまずいて「痛いっ!」って声を上げてた。まさに、認知できなくなってるのだった。

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負の感情

「敬老の日」で気持ちの良い秋晴れだけど、重く激しい負の感情全開。
もう、そろそろ終わりかなと思えど、一向に終わる気配さえ感じぬ。
終わりは予告もなしに突然やってくるのは了解済みだが。

俺はきっと苦悩を運命付けられた人生なんだな。←カッチョエエ!
致し方なし。

頂いた珈琲を飲もう。

老人介護って、やってる人のこれからに何か役立つことがあるのだろうか?
親だからやって当たり前、とは思わないし、結

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逃げたい。

見てないと時々、バアさんが食べ物で遊ぶようになってきた。
お茶を混ぜてグチャグチャにしたり、「食べたよ」というから見たら、ただおかずとご飯を混ぜてるだけだったり。
認知症の典型的症状で、食事をするという行為が認識できなくなってきているからだけど、今後は食べるまで見てなきゃいけないかもなぁ。
施設ではちゃんと食べてるようだけどね。

ああ、もうなんかドン底にハマッちまったなぁ。
施設にも入れることも

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