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#1263 後編第二十五章は、興津の別荘を楽しんでいるところから……

それでは今日も尾崎紅葉の『三人妻』を読んでいきたいと思います。

今日から「後編その二十五」に入ります!それでは早速読んでいきましょう!

(ニ十五)興津の文[フミ]
興津に着きて一週間ばかりは、所[トコロ]変[カワ]りたる珍らしさに、朝起[オキ]るから、海よ浜よと黒くなりて騒ぎぬ。
田舎蕎麦の味は好[ヨ]けれど醤[シタジ]に恐るゝ都人[ミヤコビト]は、食物[クイモノ]ゆゑに風景佳[ヨ]きところにも長くは居たゝまらず、いつも恋ひしきは紅塵万丈[コウジンマンジョウ]の俗境[ゾクキョウ]、日本橋通りに過ぎたるはなし、と旅から帰りたる人は必ず謂ふなり。

紅塵万丈とは、空が赤く見えるほどの土ぼこり、または繁華な都市のことです。

若[モシ]夫[ソレ]鯛の捕れる沖を前にして、茸蕨[タケワラビ]生[オ]ふ山を後[ウシロ]に、柿栗[カキクリ]の林、桔梗女郎花[キキョウオミナエシ]の野辺近く、冬暖[アタタカ]に夏は涼しき所に清き居宅[スマイ]を構へて、金銭の不自由無く、我[ワガ]欲[ホ]しとおもふ品は何にてもあれ、半日の中[ウチ]に台所に山を成さば、これぞ東京[トウケイ]の醤[シタジ]に田舎の生蕎麦[キソバ]。お麻一家[イッケ]の興津に於ける境涯[キョウガイ]は正[マサ]に是[コレ]ぞかし。

鰹節のだしに濃口醤油、味醂、砂糖を煮詰めるつゆそばは、文化文政時代(1804-1830)の頃には完成されていたようで、それ以前の、江戸の塩辛いそばつゆといえば、味噌と酒と鰹節を煮詰めて漉し、塩と醤油で味をととのえる味噌ベースのつゆでした。

扨[サテ]は此処[ココ]を一生の住所[スマイ]とすとも、倦[ウ]むの飽[ア]くのといふ事はあるまじきに、其[ソノ]身になりては他[ハタ]の想ふやうにはあらで、清見潟[キヨミガタ]も目慣[メナ]れては手水盤[チョウズバチ]の水、三保の松原も尋常[ナミ]の松原、富士山[フジノヤマ]とて高いばかり、根から可笑[オカシ]からず。唯[タダ]涼しきを取柄に辛抱して二十日[ハツカ]ばかりになりぬ。
此方[コチラ]に御別荘の建ちし頃より、お艶様も此[コノ]夏は是非行[ユ]きたきものと、平素[ツネヅネ]いはれけるに、私[ワタクシ]の随伴[オトモ]したる事を聞かれなば、さぞや羨ましう思はるべし。一人も人の多きを面白き折からなれば、お差支[サシツカエ]無くばお招[ヨ]び申して下さりまし。然[サ]らば私[ワタクシ]の気も休まり、お艶様のお喜びはいかばかり、と聞けばなるほどお艶を伴[ツ]れざりしは、面当[ツラアテ]がましう隔意[ワケヘダテ]したりとて、恨[ウラミ]にや懐[オモ]はむ。喜ぶとあらば喜ばせて不快[ココロワル]き事はあらず。大分[ダイブン]飽きたるところへ新手[アラテ]が来たらば、又[マタ]冴返[サエカエ]りて興あるべし。

というところで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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