#1544 それは生きている人を尋ねるのと同じ意味
それでは今日も尾崎紅葉の『多情多恨』を読んでいきたいと思います。
鷲見柳之助が妻を亡くして14日になります。いまだ昨日のように、今朝のように、ただいまのように思う。いまだ生きているように思っている。棺に納め、弔いも出し、谷中に埋めて、位牌になってしまって、うそでもなければ、夢でもなく、たしかに妻は死んでいる。その形は滅したに疑いはないが、かわいい妻の類子はまざまざと生きている。柳之助は多くの人を好かず、また多くの人に好かれない性格で、男では朋友の葉山、女は妻の類子、この二人のほかには世界に柳之助が好いた人はいません。彼の同僚は「妻[サイ]が先生」とあだ名をつけたほどで、類子は柳之助の命であったが、彼は今、その妻に死なれたのである。かわいがられた、大事がられた類子であったが、類子は決してそこまで夫を思っていなかった。しかし柳之助は、それは女のつねだと信じていた。同僚は「全力を挙げて」妻に惚れていると笑ったが、それは嘲弄でも適評でもなく事実であった。彼は第二の生命を奪われたのである。悲歎に沈み、世をも人をも身をも忘れた。「お前はなぜ死んだ。死ぬことはならん」と死に顔を被いを取っては、棺の前に立っては、墓標を揺すっては、位牌を眺めては、写真を取り出しては、心のなかで絶叫した。類子は二度と再びこの世には帰らぬ人、これから長い生涯もう逢えないとなってみると、心細さ、味気無さはいてもたっても堪えられない。この二三日は生き甲斐のない体になって、ふたつの件で思い詰めている。ひとつは、可愛い妻の生前のこと。ふたつは、この先なにを楽しみに生きていようかということ。どんなに考えたところで、この先の楽しみがない。死なれもせず、生き残っても物を思うもつらい。思うまいとしても忘れようとしても寝れば夢を見る。起きていれば、そのことが胸に集う。「酒を飲もう」。四十ばかりの婢が上がってきて「ご用でございますか」。「酒を買ってきてくれ」「どうなさいましたか」「いいから早く買ってきて」「ビールならお家にございますが」「ビールでもかまわん、早く持ってきてくれ」。炬燵の火さえ消えかかり、物臭そうに起き上がって、暗くなった家を見廻す。老婢は卵とビールをさげて入ってきます。老婢が酌をすると涙をこぼし、それを見て柳之助は涙を落とす。「さびしいな」「ごもっともでございます。本当は御精進なのでございますけれど、旦那様だけには魚や肉を差し上げておりますから、お玉子もよろしゅうございましょう」「それじゃなにか、あちらのおかあさまやお前は精進なのか」「はい」「おれもそれじゃ精進にしよう」。
ということで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!