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#1532 五重塔は揉まれ揉まれて「誰か十兵衛呼びに行け!」

それでは今日も幸田露伴の『五重塔』を読んでいきたいと思います。

江戸四里四方の老若男女、悪風来たりと驚き騒ぎ、家々ごとに狼狽えるのを、哀れとも見ぬ飛天夜叉王!人は我等を軽んじたり!我等を賤しみたり!我等を縛る機運の鉄鎖、我等を捕らえし慈忍の巖谷は、我が神力にてちぎり捨て崩れさしたり!暴れよ今こそ暴れよ!かれらの頭を地につかしめよ!かれらの喉に氷を与えて苦寒に恐れわななかしめよ!なぶらるるだけ彼等をなぶれ!急に屠るな!なぶり殺せ!活かしながら皮をはぎ取れ!肉をはぎ取れ!暴れよ進めよ!神とも戦え仏をも叩け!……ゆさゆさゆさと怪力で堅固なる家を動かし橋を揺るがします。

手ぬるし手ぬるし酷[ムゴ]さが足らぬ、我に続けと憤怒[フンヌ]の牙噛み鳴らしつゝ夜叉王の躍り上[アガ]つて焦躁[イラダテ]ば、虚空に充ち満ちたる眷属、をたけび鋭くをめき叫んで遮[シャ]に無[ム]に暴威を揮ふほどに、神前寺内に立てる樹も富家の庭に養はれし樹も、声振り絞つて泣き悲み、見る/\大地の髪の毛は恐怖に一々竪立[ジュリツ]なし、柳は倒れ竹は割るゝ折しも、黒雲[クロクモ]空に流れて樫の実よりも大きなる雨ばらり/\と降り出せば、得たりとます/\暴るゝ夜叉、垣を引き捨て塀を蹴倒し、門をも破[コワ]し屋根をもめくり軒端[ノキバ]の瓦を踏み砕き、唯[タダ]一ト揉[ヒトモミ]に屑屋[クズヤ]を飛ばし二タ揉[フタモ]み揉んでは二階を捻[ネ]ぢ取り、三たび揉んでは某寺[ナニガシデラ]を物の見事に潰[ツイヤ]し崩し、どう/\どつと鬨[トキ]をあぐる其度毎[ソノタビゴト]に心を冷し胸を騒がす人々の、彼[アレ]に気づかひ此[コレ]に案ずる笑止の様[サマ]を見ては喜び、居所さへも無くされて悲むものを見ては喜び、いよ/\図に乗り狼藉のあらむ限りを逞[タクマ]しうすれば、八百八町[ハッピャクヤチョウ]百万の人みな生ける心地せず顔色さらにあらばこそ。
中にも分けて驚きしは圓道爲右衞門、折角僅[ワズカ]に出来上りし五重塔は揉まれ揉まれて九輪は動[ユラ]ぎ、頂上の宝珠は空に得読[エヨ]めぬ字を書き、岩をも転ばすべき風の突掛[ツッカ]け来り、楯[タテ]をも貫くべき雨の打付[ブッカ]り来る度[タビ]撓[タワ]む姿、木の軋[キシ]る音、復[モド]る姿[サマ]、又[マタ]撓[タワ]む姿[サマ]、軋る音、今にも傾覆[クツガエ]らんず様子に、あれ/\危し仕様は無きか、傾覆られては大事[ダイジ]なり、止[トド]むる術も無き事か、雨さへ加はり来りし上周囲に樹木もあらざれば、未曾有の風に基礎[ドダイ]狭くて丈[タケ]のみ高き此[コノ]塔の堪[コラ]へむことの覚束なし、本堂さへも此程[コレホド]に動けば塔は如何[イカ]ばかりぞ、風を止[トド]むる呪文はきかぬか、かく恐ろしき大暴風雨[オオアラシ]に見舞に来[ク]べき源太は見えぬ歟[カ]、まだ新しき出入[デイリ]なりとて重々[ジュウジュウ]来[コ]では叶はざる十兵衞見えぬか寛怠[カンタイ]なり、他[ヒト]さへ斯様[カホド]気づかふに己[オノ]が為[セ]し塔気にかけぬか、あれ/\危し又[マタ]撓[タワ]むだは、誰か十兵衞招[ヨ]びに行け、といへども天に瓦飛び板飛び、地上に砂利の舞ふ中を行かむといふものなく、漸く賞美の金[カネ]に飽[ア]かして掃除人の七藏爺[シチゾウジジ]を出[イダ]しやりぬ。

というところで、「その三十二」が終了します。

さっそく「その三十三」を読んでいきたいと思うのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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