#339 母親を下等の人物と断罪するお勢さん
今日も二葉亭四迷の『浮雲』を読んでいきたいと思います。
第三回は文三さんと、お勢さんが二人っきりでいる状態から始まります。文三さんが家に戻ると、叔母も下女もいません。二階へ登ろうとすると、お勢さんが部屋の中から呼び止めます。お話したいから中に入ってと誘うと、文三さんは、モジモジ躊躇して、なかなか入ろうとしません。気が弱くては主義の実行は到底覚束ないと言ったのはあなたですよと言われ、文三さんは部屋に入ることに。なぜ躊躇ったのか聞かれると、陰口がうるさいからと答えます。それに対して、お勢さんは、お互い潔白なら、何を言われたっていいじゃありませんか、と答えます。すると、文三さんは…
「トハ思ッているようなものの、まさか影口が耳に入ると厭なものサ
「それはそうですヨネー この間もネ貴君[アナタ]、鍋が生意気に可笑[オカ]しな事を言ッて私[ワタクシ]にからかうのですよ、それからネ 私[ワタクシ]が余[アンマ]り五月蝿[ウルサク]なッたから到底解[ワカ]るまいとはおもいましたけれども 試[ココロミ]に男女交際論を説[トイ]て見たのですヨ そうしたらネ、アノなんですッて、私の言葉には漢語が雑[マ]ざるから全然[マルッキリ]何を言ッたのだか解りませんて……真個[ホント]に教育のないという者は仕様のないもんですネー
「アハハハ其奴[ソイツ]は大笑いだ……しかし可笑[オカ]しく思ッているのは鍋ばかりじゃアありますまい 必[キツ]と母親[オッカ]さんも……
「母ですか、母はどうせ下等の人物ですから始終可笑[オカ]しな事を言ッちゃアからかいますのサ、それでもネ そのたんびに私[ワタクシ]が辱[ハズカ]しめ辱しめしいしいしたらあれでも些[チツ]とは耻[ハ]じたと見えてネ この頃じゃア其様[ソンナ]に言わなくなりましたよ
なるほど!これですよ!逍遥の『当世書生気質』にはないものがここにはありますよ!自分の母親を下等の人物だと断罪し辱める!そんな女性を134年前に小説の主人公として設定する!これが日本近代文学の嚆矢とされる思想と言動ですよ!
「へーからかう、どんな事を仰しゃッて
「アノーなんですッて 其様[ソンナ]に親しくする位ならむしろ貴君[アナタ]と……(すこしもじもじして言[イイ]かねて)結婚してしまえッて……
ト聞くと等しく 文三は駭然[ギョッ]としてお勢の顔を目守[ミツメ]る、されど此方[コナタ]は平気の躰[テイ]で
「ですがネ 教育のない者ばかりを責める訳にもいけませんヨネー 私の朋友なんぞは教育のあると言うほどありゃアしませんがネ それでもマア普通の教育は享[ウ]けているんですよ、それでいて貴君[アナタ] 西洋主義の解[ワカ]るものは、二十五人の内に僅四人[タッタヨッタリ]しかないの、その四人[ヨッタリ]もネ 塾にいるうちだけで外[ホカ]へ出てからはネ 口[クチ]ほどにもなく両親に圧制せられてみんなお嫁に往[イ]ッたりお婿を取ッたりしてしまいましたの、だから今まで此様[コン]な事を言ッてるものは私[ワタクシ]ばッかりだとおもうと 何[ナン]だか心細[ココロボソク]ッて心細ッてなりません、でしたがネ、この頃は貴君[アナタ]という親友が出来たから アノー大変気丈夫になりましたわ
ということで、この続きは…
また明日、近代でお会いしましょう!