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#612 隠そうと思っても、もう無駄です!

それでは今日も山田美妙の『花ぐるま』を読んでいきたいと思います。

美佐雄さんは自分が贔屓にしている芸妓を囲っている杉田先生を罠にはめようと自力車夫に依頼しますが、その人力車夫こそ力造さんでして、力造さんは美佐雄さんからの賄賂を受け取らず、未遂に終わらせます。しかし、力造さんには心配事がひとつあり、それは杉田先生に、自分が夜に人力車夫をしていることがバレないかということでして…。しかし、到着した家の前で、運賃のやりとりをしているときに、ついに力造さんの顔を見られてしまいます!

じッと見詰めたのでも有りません、力造の顔は猶[ナオ]今でも下と横とを兎角[トカク]向いて居るのみですから。たゞ、しかし臥起[ネオキ]は狗[イヌ]もよく跳回[ハネマワ]り、堰[セ]かれた水は岩をも流します。見たいと扣[ヒカ]へて居た目ですもの、この時の一[ヒトツ]のきらめきは平常[ツネ]の倍にも当[アタ]ります。若い人の婚礼の見合[ミアイ]の時にもこの晃[キラ]めきが必ず出るとか、これは経験のある人から作者が承[ウケタマワ]ッたのです。大方[オオカタ]さうでも有りましやう。
力造の消防で提灯の火は消えました。しかし、杉田の不審は消えません、燃立[モエタ]つばかりです。今さら前に阿梅が話した雑誌の事も思出[オモイダ]さなくも有[アリ]ませんが、しかし余りの意外には暫時その舌の根も封込[フウジコ]まッて居ました。力造の方の心痛は言ふまでゞも有りません。狡猾[コウカツ]な目は既[スデ]に(見合はせるのは悪いくせに)杉田の顔を見ました。その杉田の顔を見た時は只[タダ]杉田が自分の顔を見たか見ぬかそれを知らうと思ッたからです。そして見れば杉田は此方[コチラ]を見て居たのですもの﹆急に驚いて此方[コチラ]は眼を横へ抛[ナ]げました ー しかし、何の益も無く。
「君は」、杉田が叫んだこの声 ー 発矢[ハッシ] ー もはや誤魔化[ゴマカ]せません、「君は、あの来間君でハ」…
言ッてずッと側[ソバ]へ寄ッて来ました。
「え、来間君で…しやう?」
「ヘエ?」どう答へていゝかほと/\分別[フンベツ]も付かず、仕方なさに只[タダ]「ヘエ?」とばかりよわい楔子[クサビ]を入れました。
「わたしは杉田です、素清です」。
力造をば早[ハヤ]十分認めて仕舞ッた杉田のこの言葉。今更匿[カク]す訳には行[ユ]かなくなりました。匿すわけには行[ユ]かなく為[ナ]ッた七分三分[シチブサンブ]の際[キワ]です、さすがに力造も胸を决[サダ]めて仕舞ひました。実にこの力造が車を曳くのは困ッて曳くのでは無く、その内心をあからさまに言へばたゞ人に磊落[ライラク]な男だと思はれたいと考へたばかり、つひ如此奇[コウキ]を好[コノ]んで妙な事を為[シ]て居たのです。そして当座は何の原因[イワレ]も無く、たゞ何と無く、その子細を隠したく思ッた、その心がいつか重畳[オモミ]を有[モ]たせられてやがて一時力造をして心痛の人、一寸[チョット]見ると磊落の身にも似合はぬ小心翼々[ショウシンヨクヨク]の者と為[サ]せたのです。が、その隠立[カクシダテ]も既に無くなりました。たとひ隠さうと思ッても最[モ]う無駄です。

というところで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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