#591 あともう少しで何かが繋がりそうな予感
それでは今日も山田美妙の『花ぐるま』を読んでいきたいと思います。
第九回は、浅草の年の暮れの様子から始まります。歳の市の賑わい…蕎麦屋も、子供も、せわしない様を見せています。植木屋も煮豆屋も貸本屋も皆忙しくしているなか、休みが近くなった書生だけは暇を持て余しています。本郷真砂町をぶらぶら歩いている力造さん。衣服もベラベラで、古びた帽子を目深にかぶっています。
が、衣物[キモノ]は手織[テオリ]の藍木綿[アイモメン]で言ハゞ椋鳥[ムクドリ]の同行[ドウギョウ]らしく、羽織は呉絽[ゴロ]の二度の務めで天地かへした縫目[ヌイメ]の跡が無情にも残ッて居ますが、しかし感心なことには酷[ヒド]く垢染[アカジ]みたものでも無く、品[シナ]はわるいながらも清潔[サッパリ]とした方[ホウ]で、一言[ヒトコト]でその全体の形態[ナリフリ]を言へば「罪の無ささうな」とでも言ふのでせう。
「椋鳥」は、冬になると大音量で鳴いて集団で温かい場所へ越冬することから、出稼ぎで江戸に来た、やかましい田舎者の集団をあざけって「椋鳥」といいます。
オランダ船によってもたらされた粗い羊毛布地のことをオランダ語のgrofgrein[ゴロフクレン]の当て字で「呉絽服連」と書きます。
何を思ッてこの往還[オウカン]をあるいて居るのでせう。それは言はずとも知れて居ます。いよ/\想像がたくましくなる前夜の顛末[テンマツ]﹆あるきながらも心は可なり混雑して居ます。
前夜夜店[ヨミセ]を張ッて居た家[ウチ]は此処[ココ]だッたと一先[ヒトマズ]目的[メアテ]を注[ツ]けて置いて、それから記憶のまゝ一軒二軒と家[イエ]を数へて居ると、やうやくにして見付[ミツ]かッたのは冠木門[カブキモン]と生垣[イケガキ]とを帯留[オビトメ]にした一搆[ヒトカマエ]で、それと見れば潜んで居た見覚[ミオボエ]もやうやくむく/\起[オコ]ッて来ました。「ふむ、此処だ」。
冠木門とは、門柱の上部に横木を架け渡した門のことです。
ひとり心で見留[ミトメ]を付けて、さてそれと通行の人に悟られぬやうに門の側[ソバ]へ近く寄り門の標札に目を注[ツ]けると、さア何[ナン]と書いてありました、「杉田別宅」と書いてありました。
しかしまだ力造はこの家[イエ]に前夜弓町の客の妹[イモト]が居るといふことは知りません。
「お久米さん」こと「お梅さん」のことですね。
「杉田」、その名はいくらか力造の胸にも新参[シンザン]でありません。「はて杉田?学校の教師のと同じやうな名前だな。杉田何[ナン]といふ人の別宅か知らん」。これだけしか考へませんがしかし一度教師杉田の事については考[カンガエ]をその妹[イモト]へ及ぼしたこともある、その孱弱[カヨワ]い経験が今でも(悟られずに)活残[イキノコ]ッて居るかして、兎角[トカク]「もしや」といふ心が起[オコ]ッて来なくも有りません。「もしや…杉田」。その後[アト]の言葉ハ何ですか知らん。
ん?もしかして、杉田先生の美人と噂の妹は、お梅さんなのでしょうか…
あともう少しで、何かが繋がりそうな予感がしますね!
ということで、この続きは…
また明日、近代でお会いしましょう!