それでは、今日から尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』を読んでいきたいと思います。
「九華」は丸岡九華(1865-1927)のこと、「香夢楼」は香夢楼緑[カムロミドリ](1866-1889)のこと、「思案」は石橋思案(1867-1927)のこと、「麻渓」は山本麻渓(1844-1923)のこと、「漣」は巌谷小波(1870-1933)のこと、「眉山」は川上眉山(1869-1908)のことです。みな硯友社のメンバーです。
「兼光」は名刀ですが、「竹光」は竹を削って刀のようにみせかけたものです。吉光・国光・兼光など、名高い刀匠の名には「光」がついていることが多いため、洒落気味に「光」をつけた造語です。「兼光か竹光か」とは、「本物か偽物か」という意味ですね。
原文では「鴝鵒」に「クコク」というルビが振られていますが、おそらく「クヨク」の誤りかと思われます。前漢時代、淮南王劉安(前179-前122)が学者を集めて編纂させた思想書『淮南子[エナンジ]』巻一「原道訓」に、「鴝鵒不過濟 貈渡汶而死」という一文があります。
ということで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!