#311 ためしに『小説総論』を逆から読んでみた!
ここ数日、考えていたんですよ…
なぜ、『小説総論』は難解なのか?って…
で、ふと、思ったんです…
よく「順を追って説明する」と言いますが、もしかしたら、二葉亭四迷の『小説総論』は、「その順が逆なんじゃないか?」って…
順を逆から読んだ方がわかりやすいんじゃないか?って…
天文学者が星空を観察して、天体が遠ざかっていることに気づき、宇宙は広がっている、つまり膨張していることがわかりました。ってことは、時を遡る、つまり「逆から見れば」、宇宙はどんどん収縮し、一点に集約されるはずです。それが「ビッグバン」です。だから、宇宙に関する教科書では、「時間の流れどおりに」、「ビッグバン」から説明が始まるわけですが、「なんでビッグバンという考えにたどり着いたのか」となれば、「時間を遡って考えた」からです。それなら、二葉亭四迷の『小説総論』を理解しようとする試みとして、時間を遡る、つまり逆から読んでみてもいいのではないかと思いました。
改めて、『小説総論』は、次の一文から始まります。
凡そ形(フホーム)あれば茲に意(アイデア)あり
つまり、これ、「ビッグバン」ですよ…
小説ができあがる上での、根本的な根っこのところです…
「宇宙はビッグバンから始まった」という説明と同じで、
小説の根本には、フォームとアイデアがある
ということです…
では、なぜ「フォーム」と「アイデア」が根本にあることに行き着いたのか…
ということで、つぎの部分から、遡って読んでいきたいと思います。
小説に勧懲摸写の二あれど、云々の故に摸写こそ小説の真面目なれ。さるを今の作者の無智文盲とて古人の出放題に誤られ、痔持の療治をするように矢鱈無性に勧懲々々というは何事ぞと、近頃二三の学者先生切歯[ハガミ]をしてもどかしがられたるは御尤千万とおぼゆ。
坪内逍遥の『小説神髄』と同じ立場ですね!
痔の治療じゃあるメェし、カンチョーカンチョーうるせぇってんだ!
って感じですね!w
で…
抑々小説は浮世に形[アラ]われし種々雑多の現象(形)の中にて其自然の情態(意)を直接に感得するものなれば、其感得を人に伝えんにも直接ならでは叶わず。直接ならんとには摸写ならでは叶わず。されば摸写は小説の真面目なること明白なり。夫の勧懲小説とは如何なるものぞ。主実主義(リアリズム)を卑んじて二神教(ヂュアリズム)を奉じ、善は悪に勝つものとの当[アテ]推量を定規として世の現象を説んとす。是れ教法の提灯持のみ、小説めいた説教のみ。豈[ア]に呼で真の小説となすにたらんや。
四迷の小説観は、この時すでに定まっていたようで、つまり、「種々雑多な現象の中にてその自然の情態を直接感得するものが小説である」と…
この感得したものを人に伝えるには、直接であることが必要で、そのためには摸写しかない!と。そして、善は悪に勝つという単純な図式で、世の現象を説こうとする勧懲小説を否定します。
世の中そんなに単純じゃねえ!
ってわけですね…
ということで、この続きは…
また明日、近代でお会いしましょう!