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#556 親の金銭をあてにせず東京に留学しようとする力造さん

それでは今日も山田美妙の『花ぐるま』を読んでいきたいと思います。

第二回は、第一回の続きから始まります。寒空のした、夜中に三人の車夫が客待ちをしています。年上の二人が先に帰ってしまい、一人残された年下の車夫のところにお客がやってきます。ひたすら一目散に走って、お客を家まで届けると、門から二人の女性が出てきます。一人は阿梅[オウメ]という女性で、お客の妹のようで、その色白の丸顔を、車夫はもっと見たいと思います。もう一人は雪という名の下女のようで、二人は兄の土産を遠慮して帰ってしまいます。お客が家に入ると、代わりに下女が出てきて、多めの運賃をくれます。普段なら多すぎる分を返す性格ですが、今日は数えもせず、ふところに収めます。上野の鐘が十時を打った頃、車夫は、先ほどの阿梅のことを思い浮かべます。この車夫の名は来間力造、24歳で、どうやら東北の出身のようです。人ができないことをしたいという性質で、人と違った説のみを立てることもあって、相手の心を損ずることもあります。幼い頃は、子供騙しの脅しが効かず、そのまま束縛や圧制というものを知らずに育ち、しかも…

力造の度量の大きさ、决して一度も腹を立ッた体[テイ]を見せません。英国の牛董[ニウトン]はつひぞ怒ッたことが無いとて朋友中[ホウユウチュウ]にも賞美されましたが、それは牛董の常の性質が言ハゞまずやさしい方[ホウ]で怒[オコ]るといふ方には向き易くない処[トコロ]からいくらかその辺も有ッたのです。

ニュートンのこの手のエピソードって、この時代からあったんですね。

が、牛董とは全[マル]で違ッて、すこし荒い方に近い性質[タチ]のものが何[ド]うしてまた怒ることが無かッたのでしやうか。否[イヤ]無くもありませんが、怒ッた体[テイ]を見せなかッたのでしやうか。それを思へば力造の量の広さは中々馬鹿には出来ません。
どうかして東京へ留学したいと、故郷に居るとき力造は両親[フタオヤ]に願ひますと。両親[フタオヤ]もあッぱれ行末[ユクスエ]望[ノゾミ]のある我[ワガ]子のことゆゑ、無論承知はしましたが、しかしまた困ッたのは力造が親の金銭を当[アテ]にせぬことです。学資はいくら贈らふかと親の方から相談をしかけても更に取合[トリア]ふ体[テイ]もありません。東京へ留学するといふ事が决[サダ]まッてから以来[コノカタ]、毎日親子が押問答[オシモンドウ]して居るばかりです。
「御前[オマエ]、そりやア分解[ワカ]らないぢや無いか、どうしてたゞ東京へ出たばかりで稼いだり学んだりすることが出来るものか」。
「いや、それは中々やりにくう厶[ゴザ]いましやう。やりにくいには相違ありますまい。が、しかし親の学資をあてにして、しかも不手際にそれを使ふのが今の書生の大抵な有[アリ]さまでしやう。それ、それゆゑ」…
「だからそれを不手際に役[ツカ]ひさへしなけりやア論は無からう」。
「いや、しかし、己[オノレ]に克[カ]つといふことが容易な事ではありません、さう思ッて居ても、其処[ソコ]が人間、なか/\容易に」…「ぢやアどうして御前は東京で身を過[ス]ぐす気か」。「人のもッとも為難[シニク]いことを為[シ]て」。「学僕[ガクボク]か」。「いゝえ」。「安教師[ヤスキョウシ]か」。「そンな物なンぞ」…「そンなら何だ、外[ホカ]にもウ無いぢや無いか」。「あります」。「何が」。「人力車夫が」。

最後のやりとりのところがリズミカルでいいですね!坪内逍遥の『当世書生気質』には、親の金をあてにする学生ばかり出てきましたもんね。

それにしてもなかなか変わった考えの持ち主ですね。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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