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#1529 生きても塔ができねばな、この十兵衞は死んだも同然!

それでは今日も幸田露伴の『五重塔』を読んでいきたいと思います。

十兵衛が傷を負って帰った翌朝、いつものように起き出したので、お浪は驚いて「まあ滅相な、ゆるりと休むでおいでなされ。どうか休んでいてくだされ。お湯ももうじき沸きますので、うがいも手水も私がしてあげましょう」。十兵衛笑って、「病人あしらいされることはない。手拭だけを絞ってもらえばひとりで洗ったほうがいい気持ちじゃ」。お浪は呆れて案ずるが、十兵衛は少しも頓着せず、朝飯を終わって立ち上がり着替えをするのを、お浪は「とんでもないこと、どこへ行くのです。じっとしていよ、からだを使うなというお医者様の言葉。無理して感応寺に行くつもりか。たとえ行ったとしても働いてはいけません。わたしがちょっとひとっ走り、お上人様にお目にかかって、三日四日の養生を直々に願ってきましょう。さあこれを着て家にひっこみ、せめて傷口がくっつくまで落ち着いていてくだされ」。十兵衛は「余計な世話を焼かずともよい。これはいらぬ」と右手ではねのけます。

まあ左様[ソウ]云はずと家[ウチ]に居て、とまた打被[ウチキ]する、撥ね退くる、男は意気地女は情、言葉あらそひ果[ハテ]しなければ流石にのつそり少し怒つて、訳の分らぬ女の分[ブン]で邪魔立てするか忌々[イマイマ]しい奴、よし/\頼まぬ一人で着る、高の知れたる蚯蚓膨[ミミズバレ]に一日なりとも仕事を休んで職人共の上[カミ]に立てるか、汝[ウヌ]は少[チット]も知るまいがの、此[コノ]十兵衞はおろかしくて馬鹿と常々云はるゝ身故に職人共が軽う見て、眼の前では我が指揮[サシズ]に従ひ働くやうなれど、蔭では勝手に怠惰[ナマケ]るやら譏[ソシ]るやら散々に茶にして居て、表面[ウワベ]こそ粧[ツクロ]へ誰一人真実仕事を好[ヨ]くせうといふ意気組[イキグミ]持つて仕てくるゝものは無いは、ゑゝ情無い、如何[ドウ]かして虚飾[ミエ]で無しに骨を折つて貰ひたい、仕事に膏[アブラ]を乗せて貰ひたいと、諭せば頭は下げながら横向いて鼻で笑はれ、叱れば口に謝罪[アヤマ]られて顔色[カオツキ]に怒られ、つく/″\我折つて下手[シタデ]に出れば直[スグ]と増長さるゝ口惜[クチオシ]さ悲しさ辛さ、毎日々々棟梁々々と大勢に立てられるは立派で可[ヨ]けれど腹の中では泣きたいやうな事ばかり、いつそ穴鑿[アナホ]りで引使[ヒッツカ]はれたはうが苦しうないと思ふ位、其中[ソノナカ]で何[ドウ]か斯[コウ]か此日[ココ]まで運ばして来たに今日休んでは大事[ダイジ]の躓き、胸が痛いから早帰りします、頭痛がするで遅くなりましたと皆[ミンナ]に怠惰[ナマケ]られるは必定[ヒツジョウ]、其時[ソノトキ]自分が休んで居れば何と一言云ひ様なく、仕事が雨垂拍子[アマダレビョウシ]になつて出来べきものも仕損ふ道理、万が一にも仕損じてはお上人様源太親方に十兵衞の顔が向[ムケ]られうか、これ、生きても塔が成[デキ]ねばな、此[コノ]十兵衞は死んだ同然、死んでも業[ワザ]を仕遂げれば汝[ウヌ]が夫[オヤジ]は生て居るはい、二寸三寸の手斧傷[チョウナキズ]に臥[ネ]て居られるか居られぬ歟[カ]、破傷風が怖[オソロ]しい歟[カ]仕事の出来ぬが怖[オソロ]しい歟[カ]、よしや片腕奪[ト]られたとて一切成就の暁[アカツキ]までは駕籠に乗つても行かでは居ぬ、ましてや是[コレ]しきの蚯蚓膨に、と云ひつゝお浪が手中より奪ひとつたる腹掛に、左の手を通さんとして顰[シカ]むる顔、見るに女房の争へず、争ひまけて傷をいたはり、遂に半天股引まで着せて出しける心の中、何とも口には云ひがたかるべし。
十兵衞よもや来はせじと思ひ合ふたる職人共、ちらりほらりと辰の刻頃より来て見て吃驚[ビックリ]する途端、精出して呉るゝ嬉しいぞ、との一言[イチゴン]を十兵衞から受けて皆冷汗をかきけるが、是より一同[ミナミナ]励み勤め昨日に変る身のこなし、一をきいては三まで働き、二と云はれしには四まで動けば、のつそり片腕の用を欠いて却て多くの腕を得つ日々[ニチニチ]工事[シゴト]捗取[ハカド]り、肩疵[カタキズ]治る頃には大抵塔も成[デキ]あがりぬ。

雨垂拍子とは、拍子が雨だれのように一定の間隔であることから、物事の進行がとぎれがちで、はかどらないことをいいます。

辰の刻は午前八時頃のことです。時刻に関しては#147でちょっとだけ紹介しています。

というところで、「その三十」が終了します。

さっそく「その三十一」を読んでいきたいと思うのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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