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#619 意地の悪い恋はまことにつらいもの

それでは今日も山田美妙の『花ぐるま』を読んでいきたいと思います。

第十六回は、杉田先生の家の中で聞いた忍び泣きしている声の主が誰だったのか考えるところから始まります。どうも男でも老人でもない…「あるいはお梅嬢が」…。こうして力造さんはまた無駄な妄想を始めます。もし、杉田の家に引き移ったら人力車を曳くのをやめようか…

しかし、左様[ソウ]と仮に心を决[サダ]めて見れば、また何と無く良心が影で小言[コゴト]を言ッて居るやうでも有ります。「杉田の家[イエ]へ引移る…折々阿梅も来やうから」。これがやうやく熟して来た心。「杉田の家[イエ]へ引移る…法律がよく学べるから﹆実に学問のため」。これが良心の小言に口対[クチゴタエ]する別の心です。みづから組立てゝみづから惧[オソ]れ、みづから驚いてみづから弁護する埒[ラチ]の無さ、意地のわるい恋はまことに強面[ツラ]いもの﹆意味こそ違[チガ]へ、「情[ナサケ]が仇[アダ]」との「しがない」文句、それも此傷[コノバ]へ用ゐられます。
それで杉田の家[イエ]へ引移るからにハ何か磊落の事をして一つ人をおどろかせてもやりたいです。「どうしたら杉田がます/\おどろくか」。今は磊落が性質の地とならず、むしろ仮の色彩[イロドリ]となりました。
これらの考[カンガエ]を繰出[クリダ]して居る時は丁度[チョウド]いま寝床に入ッて居る間です。杉田の家[イエ]に居たときでさへ早[ハヤ]よほど夜は更[フ]けて居ました。ですもの、今ハ既に午前三時の前後です。犬の遠吠[トオボエ]は夜中の付物[ツキモノ]、その犬の遠吠もあまり多くも聞[キコ]えず、天地ハ此処[ココ]に「寂寞[サビシサ]」に所領を譲ッて明鴉[アケガラス]の恢復[カイフク]、朝雀[アサスズメ]の義兵を待ッて居るのみです。下宿屋!殊[コト]に倹約な力造の部屋!夜明[ヨアカシ]の燈[アカリ]も有りません。部屋にハ残る隈[クマ]なく闇黒[クラヤミ]が充満して居る工合[グアイ]、横町の米屋もこの位に量[ハカ]りを廉[ヤス]く為[シ]てくれたら宜[イ]いとこれがために恐ろしく飛んだ感を起しさうなのは日銭[ヒゼニ]を一升買[イッショウガイ]の釜[カマ]に食はせる山の神でしやうか。

口うるさくて怖い女房のことを「山の神」と言います。なぜ「山の神」というのか、これには諸説ありまして、山の神が一般的には女神であることが多いためではないかといわれています。入山の女人禁制が多いのは、ほかの女性が入ることで、女神が嫉妬しないようにするためという説があります。山の神に、魚のオコゼを奉納する信仰が全国にありまして、これに関しても、綺麗なものを捧げるとやきもちを焼くから、顔が不細工なオコゼを捧げるのだという説があります。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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