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#1238 仏の顔は三度、人は二度目に用捨はあらじ

それでは今日も尾崎紅葉の『三人妻』を読んでいきたいと思います。

余五郎は、伝内とは別に探偵させようと山瀬を招き、新聞を見せます。すると一読して、この文面はお才と菊住に間違いないと言います。お才は芸者を勤めている頃から浮いたことをする女ではなかったが、菊住とは心から切れているわけではなく、こちらが苦肉のはかりごとで陥れたわけで、このたび焼け木杭に火がついたのではないか。余五郎は不興な顔をして、自分とは外面だけで、内実は菊住と楽しめと粋立てした覚えはない。しかしこれしきのことで腹立てる自分ではない。ずいぶん穏便に済ますべし。ともかく実否をつきとめ、新聞社へ手を廻して確かなるところを探らせたまえ。山瀬は新聞を取り上げ、この社の記者には伝手があるので、少しばかり金を握らせれば、詳細を教えてくれるだろうと言います。山瀬は配下の者を使って、新聞の虚実を糺すと、さらに詳しいことを聞かせてくれます。山瀬はその内容をそのまま余五郎に注進することが忍びず、まずはお才のもとを訪ねます。客間へと通されますが、この座敷では不都合なので二階へと注文します。二階の座に着いて茶の出る頃、お風呂が沸いたのでざっと一杯と言われ、山瀬は風呂に入ります。浴衣のまましばらく涼んでいると、まず一杯とお才のお酌。真面目の説法なら今の内と、山瀬は、近頃の浮気が余五郎の耳に入って……と伝えると、お才の心は躍ります。いつかこの密会は露わになる時もあるかと度胸は据えて懸るも、なかば惑い、なかば恥じていると、山瀬は膝を進めて、相手は菊住であること、再会は歌舞伎座であること、さらに細かいことまで並べ述べられると、お才はただ呆れ、恐ろしさに身の毛がよだちます。タネは十分あげられて、逃れる道なく、お才はその通りと潔く白状します。

山瀬は猪口[チョク]を手にして、飲みもせず、措[オ]きもせず、頻[シキリ]に耳を傾けて逐一聴聞し、はて其[ソレ]までに打明けらる〻此方[コナタ]に冗[クダ]な言[コト]はいはず。唯[タダ]一言承[ウケタマ]はりたきは、まこと菊住と切れて、以後を神妙にせらる〻気か。但[タダ]しは手鍋[テナベ]提げても添遂[ソイト]げむ御了簡[ゴリョウケン]か。

「手鍋提げても」とは、自分で煮炊きを経験したこともないような裕福な家の女性が、好きな男の人と結婚できるのなら、召使いも雇わず、自分で煮炊きするような質素な暮らしも厭わないという意味です。

御返事次第いづれにても、御身[オミ]の為必[カナ]らず悪[アシ]くは計[ハカ]らふまじければ、御遠慮無く思召[オボシメ]すま〻をとあれば、お才は少しく口籠[クゴモ]りて、あのやうな訳になりながら、謂ふはどうやら異[イ]なものなれど、亭主に持ちて始終の覚束なきは、目に見えたる菊住を、何として御前[ゴゼン]に見換[ミカ]ふべき。今度の不始末は若気[ワカゲ]のといはむも恥[ハズカ]し。一時[イチジ]の出来心といはむも面目無[オモナ]し。重々[ジュウジュウ]私[ワタクシ]の過失[アヤマリ]とのみ、外[ホカ]にいふべき様[ヨウ]も無ければ、御前[ゴゼン]のお腹立[ハラダチ]はさら/\無理ならず。か〻る不埒[フラチ]の女なれど、心を悛[アラタ]めなば一度は釈[ユル]してやらむとの思召[オボシメシ]ならば、末永く御前[ゴゼン]のお側を離るまじき身の願ひ、と前非[ゼンピ]を悔[ク]いて調和[トリナシ]を頼めば、山瀬もかくては忠告の効[カイ]あるを喜び、其[ソノ]心意気ならば、御前[ゴゼン]へは私[ワタクシ]より好きに申上[モウシア]ぐべし。若[モシ]又[マタ]今日の言葉を反古[ホゴ]にしたまはヾ、仏の顔は三度、人は二度目に用捨[ヨウシャ]はあらじと屹[キッ]と言へば、この上御心配を懸くることにはあらず。ふつ〻り思ひきりましたと、然[サ]りとは安請合[ヤスウケアイ]の断[キ]れかたに、山瀬は得心しかねて念を推せば、お才は打笑ひ、此前[コノゼン]も、あれほどの間[ナカ]なりし菊住と、甘々[ウマウマ]手を断[キ]らせし恐[コワ]い軍師の山瀬様[サン]、今度も断[キ]られいでか、と旧[フル]き恨[ウラミ]を異[オツ]にいはれて、山瀬は苦笑[ニガワライ]。

お才は、菊住へのハニートラップが山瀬の策略であることを知っていたわけですね。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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