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#590 俳優は帽子を目深にかぶる

それでは今日も山田美妙の『花ぐるま』を読んでいきたいと思います。

第九回は、浅草の年の暮れの様子から始まります。歳の市の賑わい…蕎麦屋も、子供も、せわしない様を見せています。植木屋も煮豆屋も貸本屋も皆忙しくしているなか、休みが近くなった書生だけは暇を持て余しています。

本郷真砂町の往還[オウカン]をぶら/\歩行[アル]いて来たのは例の来間力造です。昼間ですから相[アイ]もかはらず済まし切ッた書生風[フウ]です。けれど袖腕[ソデワン]に至るの恐[コワ]らしさをバ持たず、時代後[オク]れの釜形[カマガタ]の皀[クロ]…いや、既に霜降[シモフリ]となッて居る…鍔広[ツバヒロ]帽子にほとんど眉の辺[ヘン]まで知行[チギョウ]を与へてある工合[グアイ]、それで色でも生白くて衣服でもべら/\し、そして下駄でもにやけて居るならば、その目深[マブカ]といふ一点からその人物を俳優[ヤクシャ]とは誰でも推察しませう。

「袖碗に至る」の元ネタは頼山陽(1781-1832)の『前兵児[ゼンヘコ]の謡[ウタ]』です。

衣は骭[カン]に至[アタ]り 袖は腕[ワン]に至[アタ]る
腰間[ヨウカン]の秋水[シュウスイ] 鉄をも断つべし
人触るれば人を斬り 馬触るれば馬を斬る
十八交[マジワリ]を結ぶ 健児の社[シャ]
北客[ホッカク]能[ヨ]く来たらば 何を以[モッ]てか酬[ムク]いん
弾丸硝薬是れ膳羞[ゼンシュウ]
客[カク]猶属饜[ショクエン]せずんば
好[ヨ]し宝刀を以[モッ]て 渠[カレ]が頭[コウベ]に加えん

衣は脛まで 袖は腕までを蔽って(いるだけの粗末なものだが)
腰の刀の名刀は 鉄をも断ち切れ
人に触れれば人を斬り 馬にさわれば馬を斬る鋭いものだ。
十八才で健児社に入り
北客(肥後の加藤)が攻めてくれば 何でもって報いようか
弾丸や硝薬 これがご馳走だ
客人がそれでも飽き足らなければ
その時には宝刀でもって 彼の首に刀を突き当てよう

山陽が鹿児島に行った際、「兵子歌[ヘコノウタ]」を知り、その内容に感動し、『前兵児の謡』を作りました。オリジナルは、以下のようなものです。

肥後の加藤が来るならば
硝煙さかなに団子会酌
たごは何だご鉛団子
それでも聞かいで来るならば
首に刀の引出物

薩摩の兵が、憎き「肥後の加藤清正」に対して、血気盛んに勇んで士気を高める歌です。

しかし、頼山陽が実際に見たり聞いたりしたものは、薩摩健児とは名ばかりで、女色におぼれ、いたずらに芸事に夢中となり、武術の拙い現実でした。そのことに悲観した山陽は、『後兵児の謡』を作ります。

蕉衫[ショウサン]雪の如く 塵をとどめず
長袖[チョウシュウ]緩帯[カンタイ] 都人を学ぶ
怪しみ来る健児語音の好[ヨ]きを
一たび南音を操れば官長瞋[イカ]る
蜂黄[ホウオウ]落ち 蝶夢[チョウム]褪[サ]めたり
倡優[ショウユウ]巧みにして 鉄剣鈍し
馬を以って妾に代えて 髀肉を生ず
眉斧[ビフ]解剖す 壮士の腹

衣服は雪のように真っ白で チリもなく
袖は長く帯は緩く 都の人にそっくりだ
薩摩健児の語音の良さを怪しみはじめ
一旦薩摩弁を喋ろうものなら 官長が怒ります
蜂黄は落ち 蝶夢は褪め
芸事は旨くなったが 剣の腕は鈍い
馬に乗らずに妾に乗って 股に贅肉が付いた
女が薩摩の腹を割いて骨抜きにしたのだ

「霜降となって」とは、古びて所々白っぽくなっている、ということです。

「知行を与えて」とは、大名から土地を与えられるように、帽子に眉より上の面積を与えるという意味です。

当時から、俳優さんは、顔バレしないように、帽子を目深にかぶっていたんですね!w

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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