#552 この若者なかなか変な人間で…
それでは今日も山田美妙の『花ぐるま』を読んでいきたいと思います。
第二回は、第一回の続きから始まります。寒空のした、夜中に三人の車夫が客待ちをしています。年上の二人が先に帰ってしまい、一人残された年下の車夫のところにお客がやってきます。ひたすら一目散に走って、お客を家まで届けると、門から二人の女性が出てきます。一人は阿梅[オウメ]という女性で、お客の妹のようで、その色白の丸顔を、車夫はもっと見たいと思います。もう一人は雪という名の下女のようで、二人は兄の土産を遠慮して帰ってしまいます。お客が家に入ると、代わりに下女が出てきて、多めの運賃をくれます。普段なら多すぎる分を返す性格ですが、今日は数えもせず、ふところに収めます。
上野の鐘とは、寛永寺の鐘のことです。坪内逍遥の『当世書生気質』にも、鐘の音が聞こえる場面が出てきますので、詳しくは#084を読んでくださいね。
千里の「てりもせず」の歌とは、『新古今和歌集』の大江千里(生没不詳)の歌「照りもせず 曇りも果てぬ 春の夜の 朧月夜に しくものぞなき」という歌です。照りも曇りもせず、春の夜の朧に霞む月の美しさに及ぶものはない、という意味です。
1882(明治15)年に東京馬車鉄道が、最初の馬車鉄道の運行を開始しました。6月25日に、新橋と日本橋の間を結び、停留所は汐留本社、新橋、終着地のみで、途中の乗り降りも自由だったそうです。10月1日には、日本橋、上野、浅草をぐるりと結ぶ環状線も竣工されます。1903(明治36)年から1904(明治37)年にかけて路線を電化し、東京馬車鉄道は東京電車鉄道となり、新規開業の東京市街鉄道、東京電気鉄道の3社によって相次いで路面電車が建設されます。その後3社は1909(明治42)年に合併して東京鉄道となり、さらに1911(明治44)年に当時の東京市が同社を買収して東京市電となります。これが現在の都電です。#069でも、ちょっとだけ紹介しています。
ということで、この続きは…
また明日、近代でお会いしましょう!
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