#1013 この一言が今だに恨めしくてなりませぬ!水くさい!
それでは今日も尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』を読んでいきたいと思います。
谷陰にひっそりと佇む庵……茅葺は黒ずみ、壁は破れ、竹縁は踏み抜けそうです。ここには暦日がなく、昼は木を伐る音に暮れ、夜は猿の声に更けます。そんな庵に、ひとりの比丘尼が訪れます。どうやら、慣れぬ山道に迷ったようで、一晩泊めてほしい、とのこと。21歳の主人が見るところ、客人は、ねたましく思うほどの容色で、自分よりも2歳ほど若くみえます。客人が主人を見ると、世に捨てらるべき姿、世に飽くといふ年で、自分の成れの果てかと思います。主人も客人も互いに一様の思いはありますが、言い出す機会がありません。夜が更け、梟が鳴き、狼の遠吠えが聞こえます。和紙で出来た蚊帳を吊り下ろして、ふたりは寝ることに……。主人のいびきが微かに聞こえてきますが、客人は目を閉じても心は冴えて眠れません。枕辺には、行燈の火影に、今は蚊帳となったかつての書き置きが映り、目に入ります。客人はその書き置きを読むことにします。どうやら、内容は、戦場へ赴く男が相手の女性にしたためた手紙のようです。涙ながらに読み終え、改めて手紙を見ると、筆跡が知っている人に似ています。そんなタイミングで主人が目覚めます。客人は書き置きを読んだことを伝え、たずねます。「この書き置きの宛名の『若葉』とは、あなたの俗の名では」「はい、若葉と申しました」「そのお姿では、まさしく討ち死になされた事と……」「仰せの通り、武士の手本となるような、目覚ましい最期を遂げた、とのこと」。涙ながらに語り合い、今度は主人が、客人に、尼となった物語をうながします。客人も、夫と死に別れ、尼となり、同行もなく行脚していたところ、道に迷い途方にくれ、この庵に辿り着いたといいます。そして、主人の優しい心・言葉が姉様のように思われ、そばに置いてほしいといいます。主人はその言葉を受けて、私も親身の妹にでもあったようだと答えます。そして、御覧のとおりの暮らしだが、辛抱できるのならおいでと言います。すると、客人は、さきほどの書き置きに関する疑問を主人にぶつけます。夫から尼になるなら未来までの縁を切ると言われたのに、どうして尼になったのか、と。それに対して主人は、七生まで縁を切られても、どうして二度の夫が持てるのか、自害をするなとも言われ、さりとて生き甲斐もない身……しかも、夫は私同様、両親と死に別れ、縁者はいない……しかも合戦とはいいながら人の命を取った夫……あの世で仏様がお許しなさるはずはなく……私が出家いたした為、あの世の夫が少しでも助かるなら連れ添う女房の役目……このあと話は以下のように続きます。
兜の前後または左右に垂れた筋金を「篠垂」といいまして、この篠垂やその下の地板を鍍金[メッキ]銀で飾った兜を「片白[カタジロ]の兜」といいます。背面も飾った場合は二方白[ニホウジロ]、さらに左右を加えた場合は四方白[シホウジロ]といいます。「三方白」ということは、前と左右を飾っているんでしょうね。「忍緒」は兜を頭に固定するための紐のことです。結んだあとに残った紐を指す場合もあります。
ということで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!