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#647 依田氏は、盛り上げ上手の好かれる性格

それでは今日も山田美妙の『明治文壇叢話』を読んでいきたいと思います。

美妙は、徳富蘇峰・森田思軒・朝比奈知泉の三氏から、「文学会を組織しよう」という手紙をもらい、1888年9月8日、芝公園の三緑亭へと赴きます。午後五時半、出席の第一番は依田學海、依田は時間を間違えない性格のようで、会の集まりには誰よりも早く来るみたいで…。その後、続々と、坪内逍遥や森田思軒など、総勢11人が集まります。

人が集まるに従ッて談笑の声やうやく喧[カマビス]しく、中にも宴会などの節[セツ]すこし隙[ヒマ]が有れば其室[ソノヘヤ]なり庭なりを散歩するのを依田氏は好んで、明治二十二年九月土方子爵からの招待によッて日本演芸協会委員が一同芝離宮へ集まッた時にも依田氏は其[ソノ]庭内を散歩しました。

土方子爵とは、第1次伊藤内閣で農商務大臣を務めた土方久元(1833-1918)のことです。「日本演芸協会」は、#600でも少しだけ紹介しました1886(明治19)年結成の「演劇改良会」の後進組織で、1888(明治21)年に演劇矯風会に改称、さらに翌年の1889(明治22)年に日本演芸協会へと改称されます。

時は正[マサ]に秋の央[ナカバ]、前夜の夜[ヨ]あらしが過ぎたばかりのところ、量[ハカリ]でしるしの見える泉水[センスイ]は面白く海風[ウミカゼ]に小々波[サザナミ]を紋[アヤド]ッて居ました。依田氏はしばらくはじめ縁側に立ッて眺めて居ました。この日は珍らしく有紋[ユウモン]の黒羽織に細縞[ホソジマ]の鼠地[ネズミヂ]に茶糸入[チャイトイリ]の袴を穿いて居ました。吹入るゝ風にわなゝく髯を右の手で撫でながら快活な声、ー
「あッ、魚が跳ねる!山田さん、えッ、先生、庭アちッと歩きませう」。
言ふや否や庭下駄を突掛けて直に下立[オリタ]つ。私もつゞいて庭へ出ました。
「あゝ」前後を見回して依田氏が、「まるで源氏の須磨のやうですね ー 殿上[テンジョウ]のすまひ、あッ、殿上で思ひ出したいちご姫は意外な御趣向でしたな」。

『いちご姫』は山田美妙の代表作です。今回、読むのをスルーしたんですけど、やっぱり読んだほうがいいのかなぁ~

依田氏の会話は甚[ハナハ]だ爽[サワヤカ]で、しかも早口の切口上[キリコウジョウ]です。会話の間には折り/\「うゝ」、或は「えゝ」の唸[ウナ]り声が交[マジ]りますが、弁[ベン]は達者な方、かてゝ加へて音声は香ばしくそれに些[スコ]し鏽[サビ]が掛かッて、それでいつでも高い調子ですから依田氏が居る席はいつも非常に賑やかでした。

音声が香ばしいっていい表現ですね!

森鷗外氏が主人でそれこそ徳富蘇峯氏でも客である席などはしんみりと為過[シス]ぎて彼一句[カノイック]是一句[コノイック]ぽつり/\聞える位なものですが、其処[ソコ]へ一点[イッテン]依田氏が入れば絃歌[ゲンカ]がたちまち湧きます。

絃歌は、琴・三味線などを弾き、歌をうたうことです。森鷗外はやっぱり真面目な男なんですね…いや、真面目でも、人が集まる席で盛り上げ役に徹することができる人もいますからね…

依田氏は、それに、其交際が中々巧[タクミ]で、人に接するにいつでも不快な顔色は無く、したゝかに面前で駁撃[バクゲキ]されても高笑ひの高声[タカゴエ]、しかも其高笑ひの高声が故意につくッたとは見えぬところは如何にもさッぱりして居ました。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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