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#610 人を心に思い描く平方・立方・重量

それでは今日も山田美妙の『花ぐるみ』を読んでいきたいと思います。

第十四回は、力造さんがお梅さんのことについて、ひとりでモヤモヤ考えているところから始まります。偏屈な力造さんは、気になっているお梅さんが美人であることに対して「醜婦なら面白いのに」と考えはじめます。その日の夜も人力車の仕事に出掛けます。そこで遭遇したのが、第十二回の美佐雄さんが車夫に賄賂を渡して杉田先生を罠にはめる策略で、偶然にも、その依頼を受けたのが力造さんでした。車夫が力造さんだったことで、美佐雄さんの策略は失敗に終わります。杉田先生にも、自分の正体がバレずに済んだようで…

やがて曳出[ヒキダ]しました。載せる時にもたしかに見た、主[ヌシ]は紛れも無い素清です。今まで力造の胸に色々の思案が帝座[テイザ]をあらそッて居た其内[ソノウチ]、しかも絶えず消えずに皇家[コウカ]の代々を萬世不易[バンセイフエキ]と極[キ]めて居たのは「杉田が芸者買[ゲイシャカカイ]を為[ス]るか!」と強く心から驚いた考[カンガエ]です。
曳出[ヒキイダ]せばまた胸は更に一層の糸をもつれさせるばかり、大風[オオカゼ]の火事同様火[ヒ]ハ遠近[オチコチ]に移ります。それで無くて昼間さかりであッた阿梅の事、それが今は平方[ヘイホウ]立方[リッポウ]を作るほどです。
が、それよりも、何よりも、更に力造の心に一層の重量[オモミ]を置いたのは、美佐雄の事を告[ツ]げやうか、告げまいか、告げれば自分が車を曳くのがわかるし、告げなければ(それでも!)自分が折角の功績[テガラ]をしたのが分解[ワカ]らずにしまふし、さて何[ド]うしたら宜[イ]いだらう﹆およそ、これほどに考[カンガエ]を回すこと、これが車を曳きながらも考深[カンガエブカ]い脳を湧かせた薪[タタギ]です。

ちなみに…

明治政府は、1872(明治5)年の学制発布の際、「和算を廃止し、洋算を専ら用ふるべし」と決断しました。しかし、初等教育の筆算さえまともに教えられる教師が不足していたため、翌年の1873(明治6)年、止むを得なく珠算(そろばん)のみ復活しました。そんな状況を憂えて、柳楢悦(1832-1891)と神田孝平(1830-1898)が1877(明治10)年に東京数学会社を設立し、数学の振興に力を注ぎました。1884(明治17)年に東京数学会社が日本数学物理学会に改組された頃には、西洋数学が和算を圧倒するようになります。1946(昭和21)年、日本数学物理学会は、日本数学会と日本物理学会に分離します。

1902(明治35)年に公布された中学校令によって、教授要目が定められ、数学教育は国家的統制を実現するに至ります。旧制中学の修業年限は5年間(12~16歳)で、以下のような要目が定められました。上の文章に出てくる「平方・立方」は第二学年(13歳)で学びます。

第一学年
算術:緒論、整数及小数、諸等数、整数の性質、分数、比及比例
第二学年
算術:比及比例の続き、割合、巾及根(平方根・立方根を含む)、代数緒論、整式、方程式(一元一次)
第三学年
代数:方程式の続き(多元一次)、整式の続き、分数式、方程式の続き(二次方程式)
幾何:緒論、直線、円
第四学年
代数:無理式、比及比例、級数、順列及組合、二項式定理、対数
幾何:円の続き、面積、比例、比例の応用
第五学年
幾何:比例の応用の続き、平面、多面体、曲面体
三角法:角の測り方、円函数、直角三角形の解法、円函数の続き(一般角)、角の和に対する公式、三角形の辺とその角の円函数との関係、対数表の用法、三角形の解法、高さ、距離等の測法及これに関する実習

というところで、第十四回が終了します!

さっそく、第十五回へと移りたいのですが…

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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