#1225 身の毒と知りつつも、夜半の茶漬けはやめられない!
それでは今日も尾崎紅葉の『三人妻』を読んでいきたいと思います。
菊住の服装は歌舞伎座で見たのと同じで一張羅。お才は打ち解ける薬は酒だと支度を急がせます。お才は母の浴衣に着替え、菊住は麻襦袢で涼みながら、別れてからの物語となります。菊住は、お才と別れてから二か月目には小〆にも振られ、その後、会社に勤めるが薄給で諦め、惨めにも神妙に暮らし、ひと月送るも切なく、人を怨むこともできずと言うと、お才は打ち笑みます。罪を作る報いの恐ろしさ、色男の末とは皆そうしたもの……。忘れても色事は慎みたまえ。よき往生は難しき体なりと思いありげに菊住の顔を覗くと、こめかみあたりに傷があり、それはと尋ねると、これもバチなれどこなたの過失と言うと、お才はあの時の傷かと驚きます。この傷こそ菊住一代の色事のカタミ。昨日、歌舞伎座で見た時の衰えた姿。今の若さでどうする気かとお才は帯の間から五十円を投げ出します。菊住は「こんなに戴いては……」と、しおらしく頭を下げ、「せっかくのこころざしなればありがたく……」と金を戴くと、お才は「みっともない!そんな真似はヤメにしやんせ!女に物を貰ったら、うれしい顔をせぬほうが男らしくていいもの!」と言います。お才は、大事な主がありながら悪い事をしては義理が済まぬ、旦那の耳に入ればそなたの身にかかわることと言えば、菊住は煮るなり焼くなりよろしきようにと言います。その頃、お才の母親は、金だけの話なら五分で済むところ二時間近くも話していることに気を揉んでいます。怒られる覚悟で呼んでみようと梯子を昇る音を立てたりしますが、「何ぞ用か」と声をかけられ、こそこそ逃げ帰り心は休まりません。辛気臭さに酒を飲んでいると、昼飯を言いつけにお才が下りてきて、さらに風呂を焚いてくれと言われ、やれやれの状態。午後になって菊住は名残惜し気なる顔して裏口から帰ります。お才はすぐに昼寝してしまい、母は起きたらひとこと言おうとしますが、夕暮れの帰りを急ぐことに紛らわされて逃がしてしまいます。その後、お才は人目を忍び、華道の師匠の奥座敷で菊住と逢引します。余五郎が紅梅、お艶のもとへ通い、自分のところは疎遠がちであることを幸いに、師匠の弟子が来る日を避けて、月に四回。想う女を自由にして、楽しみながら金を得ることの難しさ、ひとつの杵でふたつの臼をつくが如し。菊住の果報めでたさは、真似できるものではない。
ちなみに、1788(天明8)年に刊行された、山東京伝(1761-1816)の門人・山東鶏告(生没年不詳)と山東唐洲(生没年不詳)による洒落本で『夜半の茶漬』というものがあるそうです。客と遊女の話でして、それがこの章のタイトルの由来なのかもしれません。
というところで、「後編その十一」が終了します!
さっそく「後編その十二」に移りたいのですが……
それはまた明日、近代でお会いしましょう!
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