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#1469 姉御!兄貴は?なに感応寺へ?

それでは今日も幸田露伴の『五重塔』を読んでいきたいと思います。

縁側で長火鉢にむかって話し相手もなくただひとり、三十前後の女性が座っています。鼻筋つんとして目尻キリリとあがり、洗い髪をぐるぐる丸めて色気なしのさま。しかし渋気の抜けた顔は、年増嫌いでも褒めずにはおかれない風体。台所では下婢が器を洗う音ばかりして家の中は静か。女は長五徳を磨き、銅壺の蓋まで綺麗にして、煙草箱を煙管で引き寄せ、一服吸って煙を吐いて、思わず知らず溜息も吐きます。うちの人が手に入れるであろうが、去年使ってやった愚鈍な奴が恩を忘れて上人様に胡麻摺って、自分の仕事にしようと願いを上げたとやら……。清吉がいうには、大丈夫こちらに言い付けられるに決まってる、あいつの下で働く者もあるまいし仕損じるのも目に見えたこと。早くうちのひとが、御用言いつかったと笑顔で帰ってこないだろうか。

類[ルイ]の少い仕事だけに是非為[シ]て見たい受け合つて見たい、慾徳は何でも関[カマ]はぬ、谷中感応寺の五重塔は川越の源太が作り居つた、嗚呼[アア]よく出来[デカ]した感心なと云はれて見たいと面白がつて、何日[イツ]になく職業[ショウバイ]に気のはづみを打つて居[イ]らるゝに、若し此[コノ]仕事を他[ヒト]に奪[ト]られたら何のやうに腹を立てらるゝか肝癪を起[オコ]さるゝか知れず、それも道理であつて見れば傍[ワキ]から妾[ワタシ]の慰[ナグサ]めやうも無い訳、嗚呼[アア]何にせよ目出度[メデト]う早く帰つて来られゝばよいと、口には出さねど女房気質[ニョウボウカタギ]、今朝背面[ウシロ]から我が縫ひし羽織打ち掛け着せて出[ダ]したる男の上を気遣ふところへ、表の骨太格子[ホネブトゴウシ]手あらく開けて、姉御、兄貴は、なに感応寺へ、仕方が無い、それでは姉御に、済みませんが御頼み申します、つい昨晩[ユウベ]酔[ヘベ]まして、と後[アト]は云はず異[イ]な手つきをして話せば、眉頭[マユガシラ]に皺をよせて笑ひながら、仕方のないも無いもの、少し締まるがよい、と云ひ/\立つて幾干[イクラ]かの金を渡せば、其[ソレ]をもつて門口[カドグチ]に出[イ]で何やら諄々[クドクド]押問答[オシモンドウ]せし末[スエ]此方[コナタ]に来[キタ]りて、拳骨[ゲンコ]で額を抑へ、何どうも済みませんでした、ありがたうござりまする、と無骨な礼を為[シ]たるも可笑[オカシ]。

谷中感応寺は日蓮宗でしたが、感応寺は日蓮宗以外の信者からの布施は受けず施しもしないという「不受布施派」でした。幕府は統制の崩壊を防ぐため、寺社を統治下に置く仕組みをつくり、統制がいきわたらない可能性のある「不受布施派」を弾圧します。感応寺は1698(元禄11)年に天台宗への改宗を命じられ、徳川家の菩提寺の一つである上野寛永寺の末寺となりました。1833(天保4)年、感応寺は天王寺と名を改めます。境内にあった五重塔は、1957(昭和32)年7月6日、不倫関係にあった48歳の男性と21歳の女性の心中による放火で焼失してしまいます。

というところで、「其一」が終了します。

さっそく「其二」を読んでいきたいと思うのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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