それでは今日も尾崎紅葉の『三人妻』を読んでいきたいと思います。
余五郎はお艶の妊娠の嬉しさに紅梅にさえ疎くなり、産婦の見舞い余念なく、お才などはきつい見限り、寄りも着かないこのごろ……。そろそろよい時節だと、花川戸にいる母親のところへご機嫌うかがいに行こうとしますが、伝内という見張りがいるため、従者を連れずに出ることは叶いません。お仲を邪魔そうな顔もせずに連れて、市村座へと母親を誘います。10時の開場なのに、10時半を過ぎていると母親は支度しながら騒ぎ立て、落ち着いているお才の煙草盆を片付けて猿若町へと飛ばします。
お才もほんとに懲りない女性ですねw
軽んじている・小馬鹿にしている時の「なめている」って言い方はいつから使われているんでしょうね。
1872(明治5)年の「小学教則」で、分数は下等小学(修業年限4年) の教授内容となり、洋算の算術教科書として、数学者であり地誌学者であった塚本明毅[アキカタ](1833-1885)の『筆算訓蒙』(1869)が用いられます。この教科書では「分数」に関して次のような説明があります。
というところで、「後編その十七」が終了します!
さっそく「後編その十八」へと移りたいのですが……
それはまた明日、近代でお会いしましょう!