#621 おや明けたか、うんにゃ寝たか
それでは今日も山田美妙の『花ぐるま』を読んでいきたいと思います。
第十六回は、杉田先生の家の中で聞いた忍び泣きしている声の主が誰だったのか考えるところから始まります。どうも男でも老人でもない…「あるいはお梅嬢が」…。こうして力造さんはまた無駄な妄想を始めます。もし、杉田の家に引き移ったら人力車を曳くのをやめようか…お梅も来るだろうから…法律がよく学べるから…。時刻はすでに午前三時。部屋は暗闇が充満しています。となりの部屋の寝言やいびきが聞こえてきます。目を閉じても心だけは覚めているばかりです。
詩経にも有る「転輾反側[テンテンハンソク]」﹆あちこちへの寐[ネ]がへり尽[ヅク]し﹆胸に手を載せると幻[ウナ]されるといふ小児[コドモ]の時の話も思出[オモイダ]されては、嘘と知[シリ]つゝも側[ワキ]へ手をやッて、後[アト]で気が付いて我ながら哂出[ワライダ]すばかり。寐がへりをして居るうちにいつか下の部屋から聞[キコ]えるのハ二三ヶ月前、何でも直してもらッたと言ふぼん/\時計[ドケイ]﹆「だから間違ッては居まい。それで四ツ打ッて…なるほど四時か」。寐床[ネドコ]は次第に熱[アタタ]まッて足の凍瘡[シモヤケ]が時を得貌[エガオ]にむづ/\して来れば物事がまた何と無く焦燥[ジレ]ッたくなるやうで「あゝ最[モ]う寐やう」とわれから宣下[センゲ]はするものゝ、しかしまた想像といふ情のこはい物がいまだに肱[ヒジ]を張ッて動きません。「あゝ人は皆寐て居る」。物思[モノオモイ](否[イヤ]では無くてむしろ楽しみな物思[モノオモイ])、それを甞[ナ]めて見たさにわざ/\睡魔を追退[オイシロゾ]けて居た時を次第に埒[ラチ]も無く怨[ウラ]んで来れば、更にむしやくしやと夜具[ヤグ]のぬくまりも気に為[ナ]ッて来て、また人の寐息[ネイキ]も邪魔に為[ナ]ッて来ます。
が、その内に、それで世は持ッたもの、いつか寐入ッたと見えて不図[フト]目を醒ませば下宿屋の下女が雨戸を繰明[クリア]けて居ます。
「おや明けたか。うンにや寐たか」。
寐たかも無いものです。証拠の欠伸[アクビ]が三ツ四つ出て来る風情、「わたしが此[コ]のとほり出るものを」と言ひさうです。
けれどまだ朝ハ朦朧といふ処です﹆日の光もまだ若いか、薄青く見えます。風が吹く時には負けじに謡出[ウタイダ]す窓の戸の隙間、および文盲[モンモウ]の目と親類の節穴、そればかりが恐ろしくきらめいて居ます。「起きやうかなア」。けれど何だか温柔[オンジュウ]の郷[サト]の離れにくさ。
ということで、この続きは…
また明日、近代でお会いしましょう!
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