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#1515 その二十三は、いよいよ五重塔の建築がはじまるところから……

それでは今日も幸田露伴の『五重塔』を読んでいきたいと思います。

今日から「その二十三」に入ります!それでは早速読んでいきましょう!

其二十三

蒼鸇[タカ]の飛ぶ時他所視[ヨソミ]はなさず、鶴なら鶴の一点張りに雲をも穿[ウガ]ち風にも逆[ムカ]つて目ざす獲物の、咽喉仏[ノドボトケ]把攫[ヒッツカ]までは合点せざるものなり。十兵衞いよ/\五重塔の工事[シゴト]するに定[キ]まつてより寐ても起きても其事三昧[ソレザンマイ]、朝の飯喫[ク]ふにも心の中では塔を噬[カ]み、夜の夢結ぶにも魂魄[タマシイ]は九輪の頂[イタダキ]を繞[メグ]るほどなれば、況[マ]して仕事にかゝつては妻あることも忘れ果て児[コ]のあることも忘れ果て、昨日の我を念頭に浮べもせず明日[アス]の我を想ひもなさず、唯[タダ]一ト[ヒト]釿[チョウナ]ふりあげて木を伐るときは満身の力を其[ソレ]に籠め、一枚の図をひく時には一心の誠を其[ソレ]に注ぎ、五尺の身体[カラダ]こそ犬鳴き鶏歌ひ權兵衞[ゴンベエ]が家に吉慶[ヨロコビ]あれば木工右衞門[モクエモン]が所に悲哀[カナシミ]ある俗世に在りもすれ、精神[ココロ]は紛[フン]たる因縁に奪[ト]られで必死とばかり勤め励めば、前[サキ]の夜源太に面白からず思はれしことの気にかゝらぬにはあらざれど、日頃ののつそり益々長じて、既[ハヤ]何処[イヅク]にか風吹きたりし位に自然軽う取り做し、頓[ヤガ]ては頓[トン]と打ち忘れ、唯々[タダタダ]仕事にのみ掛りしは愚戇[オロカ]なるだけ情に鈍[ニブ]くて、一条[ヒトスジ]道より外[ホカ]へは駈けぬ老牛[オイウシ]の痴[チ]に似たりけり。

五尺(150cm)は標準的な人間の身長を指し「尺五」ともいいます。

「老牛の痴」とは年老いた牛がひたすらに一筋の道に徹するさまをいいます。

金箔[キンパク]銀箔[ギンパク]瑠璃[ルリ]真珠[シンジュ]水精[スイショウ]以上合せて五宝、丁子[チョウジ]沈香[ジンコウ]白膠[ハクキョウ]薫陸[クンロク]白檀[ビャクダン]以上合せて五香、其他[ソノホカ]五薬五穀まで備へて大土祖神[オオツチオヤノカミ]埴山彦神[ハニヤマヒコノカミ]埴山媛神[ヤマヒメノカミ]あらゆる鎮護の神々の式もすみ、

谷中感応寺は天台宗のため「鎮壇具[チンダング]」を地鎮の際に堂塔の建つ土地に埋めます。上の五宝・五香のほかに、赤箭[セキセン]・茯芩[ブクリョウ]・石菖根[セキショウ]・天門冬[テンモンドウ]・人参の五薬と、小豆・胡麻・大麦・小麦・稲穀の五穀を指します。

大土祖神とは、大年神[オオトシノカミ]が天知迦流美豆比売[アメチカルミズヒメ]を娶って生んだ土之御祖神[ツチノミオヤノカミ]のことでしょうか。別名「大土神[オオツチノカミ]」といわれ、「御祖」は母親の美称とされることから、作物の生育を掌る土壌の母神という説があります。埴安神[ハニヤスノカミ]の「ハニ」とは土のことを指し、土を司る神様です。男女二柱の神として分けて考えられることも多く、その場合は埴山彦神と埴山媛神に分けられます。

お寺で地鎮祭っていうのも、よく考えたらおもしろいですね。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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