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#1504 のっそりだ!馬鹿だ!たわけだ!なんと言われても仕方はない!

それでは今日も幸田露伴の『五重塔』を読んでいきたいと思います。

源太が怒って帰ったあと、茫然としている夫の顔をのぞいて溜息つくお浪。「親方様があれほど言ってくださり、一緒に仕事したとして恥にはなるまいに、つまらぬ意地を張って、誰が感心なと褒めるのか。親方様のご料簡につけば、親方の心持もよく、お前の名も上り、三方みな良いのに、なぜその気になれぬのか。よく思案して親方様の意見に従って下されぬか。謝って謝って謝りぬいたら親方様もいつまでたっても怒ってばかりもいられまい。親方様の言われたとおりにしてみる気になられぬか」。「ああもう言うてくれぬな!五重塔とも言うてくれぬな!恩知らずとも、人情なしとも言われよう。いまさらなんとも是非がない。しかし、お前の言うように思案を変えるのはどうしてもイヤ。仕事に手下を使おうが助言は頼むまい」。

人の仕事の手下になつて使はれはせうが助言はすまい、桝組[マスグミ]も椽配[タルキワ]りも我[オレ]が為[ス]る日には我[オレ]の勝手、何所[ドコ]から何所まで一寸[イッスン]たりとも人の指揮[サシズ]は決して受けぬ、善いも悪いも一人で脊負[ショ]つて立つ、他の仕事に使はれゝば唯[タダ]正直の手間取りとなつて渡されただけの事するばかり、生意気な差出口[サシデグチ]は夢にもすまい、自分が主[シュ]でも無い癖に自己[オノ]が葉色[ハイロ]を際立てゝ異[カワ]つた風[フウ]を誇顔[ホコリガ]の寄生木[ヤドリギ]は十兵衞の虫が好かぬ、

「桝組」とは、寺院建築でみられる、柱の上部で、斗[マス]と肘木[ヒジキ]とを組み合わせて深い軒を支えるしくみのことです。「椽配り」とは、垂木を一定の間隔で配置することです。


人の仕事に寄生木[ヤドリギ]となるも厭[イヤ]なら我が仕事に寄生木を容[イ]るゝも虫が嫌へば是非がない、和[ヤサ]しい源太親方が義理人情を噛み砕いて態々[ワザワザ]慫慂[ススメ]て下さるは我[オレ]にも解つてありがたいが、なまじひ我[オレ]の心を生[イカ]して寄生木あしらひは情無い、十兵衞は馬鹿でものつそりでもよい、寄生木になつて栄えるは嫌[キライ]ぢや、

寄生木は、ほかの樹木に寄生して生長する木のことです。

矮小[ケチ]な下草[シタグサ]になつて枯れもせう大樹[オオキ]を頼まば肥料[コヤシ]にもならうが、たゞ寄生木になつて高く止まる奴等を日頃いくらも見ては卑[イヤシ]い奴めと心中で蔑視[ミサ]げて居たに、今我[オレ]が自然親方の情[ナサケ]に甘へて其[ソレ]になるのは如何[ドウ]あつても小恥[コハズカ]しうてなりきれぬは、いつその事に親方の指揮[サシズ]のとほり此[コレ]を削れ彼[アレ]を挽き割れと使はるゝなら嬉しけれど、なまじ情が却つて悲しい、汝[キサマ]も定めて解らぬ奴と恨みもせうが堪忍して呉れ、ゑゝ是非がない、解らぬところが十兵衞だ、此所[ココ]がのつそりだ、馬鹿だ、白痴漢[タワケ]だ、何と云はれても仕方は無いは、あゝッ火も小くなつて寒うなつた、もう/\寝てでも仕舞はうよ、と聴けば一々道理の述懐。お浪もかへす言葉なく無言となれば、尚寒き一室[ヒトマ]を照せる行燈[アンドン]も灯花[チョウジ]に暗うなりにけり。

「灯花」とは「丁子頭[チョウジガシラ]」の略で、灯心の燃えさしの頭にできる、チョウジの実のような丸いかたまりのことです。

というところで、「その十八」が終了します。

さっそく「その十九」を読んでいきたいと思うのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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