それでは今日も尾崎紅葉の『三人妻』を読んでいきたいと思います。
音羽の別荘の奥庭の木戸を入れば、一面の桜林、何千本の花重く、人は雲の中を行くようです。桜の下に錦の幕を張り、十二人の女児の給仕をつけ、物陰の茶店で飲茶を楽しみます。花見る人には今日のために衣裳を新たに調えている人も多く、黒の紋付き袴で来る人もいれば、子の手をひき妻を連れてくる者もいます。第四商店の番頭は大茶碗で白酒を振る舞い、第二商店の会計は寿司の竹皮包みを子供たちにひとつずつ配ります。
1886(明治19)年、イタリアのチャリネ曲馬団が来日します。その興行が大評判をとったところから、「サーカス」のことを「ちゃりね」といいます。ちなみに日本に初めて来た外国のサーカスは、1864(元治元)年で、横浜で興行したアメリカ・リズリー・サーカス一座だといわれています。その後、1871(明治4)年にフランスからスリエ曲馬団が来日します。日本人のサーカスとしては、チャリネ一座から名前をとり、1899(明治32)年に山本政七らによって設立された「日本チャリネ一座」が最初であるとされています。
というところで「その二」が終了します!
さっそく「その三」へと移りたいのですが……
それはまた明日、近代でお会いしましょう!