見出し画像

#1442 婚姻の日に、お辰が戻ってこない!

それでは今日も幸田露伴の『風流佛』を読んでいきたいと思います。

七蔵に百両を払ってお辰を宿屋の養女とした珠運。ここで数日逗留しますが、奈良を思い起こし空しく遊んでいるべきあらずと旅支度を整えます。それを見て宿屋の亭主が呆れます。「これはこれは、婚礼も済まぬに」「はて、誰の婚礼」「知れた事、お辰が」「誰と」「あなたじゃなければ誰と」珠運赤面し「ご亭主こそ冗談はおきたまえ。お辰様を愛しい思うが女房にしようとは一厘も思っていない。旅の者に女房授けられては甚だ迷惑」。「ははは何の迷惑。お辰を女房にもって奈良へでも京へでも連れ立って行きゃれ」。「お辰を妻にと思ったことはない。一生にひとつ作意の仏体を刻みたいという望みがある身、どうやって今から妻を持つのか」。お辰にも「恩を枷にお前を娶ろうとする賤しい心は露ほども持っていない」という内容を置手紙にしたため、再び旅へと出ます。二里ほど歩くと珠運様と呼ぶ声、しかし振り向いても誰もいません。三里ほど歩くと、袂をつかむ様子、しかし、やはり人はいません。むこうから夫婦連れが面白そうに語らい行くのを見て
、お辰と話したくなって一間ばかり戻りますが、愚かなりと半町歩き、はては片足進んで片足戻る始末、自分ながら訳がわかりません。珠運は旅路で風邪をひきます。二日ばかり苦しんでいると、宿屋の亭主とお辰が尋ね来て、亀屋に引き取られます。お辰の寝ずの番で看病と平癒祈願を行ない、ひと月かかって快方に向かうと、珠運はお辰の手をとって、部屋に入り長らく語らいます。出てきたお辰の耳は赤くなっています。

其[ソノ]翌日男真面目に媒妁[ナコウド]を頼めば吉兵衛笑って牛の鞦[シリガイ]と老人[トシヨリ]の云う事どうじゃ/\と云[イイ]さして、元より其[ソノ]支度したく大方は出来たり、善は急いで今宵[コヨイ]にすべし、不思議の因縁でおれの養女分にして嫁入すればおれも一トつの善い功徳をする事ぞとホク/\喜び、忽[タチマ]ち下女下男に、ソレ膳を出せ椀を出せ、アノ銚子を出せ、なんだ貴様は蝶の折り様[ヨウ]を知らぬかと甥子[オイゴ]まで叱り飛ばして騒ぐは田舎気質[カタギ]の義に進む所なり。

「蝶の折り様」とは、婚礼のときに飾り付ける「男蝶[オチョウ]・女蝶[メチョウ]」という雌雄の蝶を模した折り紙のことです。銚子のふたなどに飾り付けます。

かゝる中へ一人の男来[キタ]りてお辰様にと手紙を渡すを見ると斉[ヒト]しくお辰あわただしく其[ソノ]男に連立[ツレダチ]て一寸[チョット]と出[イデ]しが其[ソノ]まゝもどらず、晩方[バンガタ]になりて時刻も来[キタ]るに吉兵衛焦躁[イラッ]て八方を駈廻[カケメグ]り探索すれば同業の方に止[トマ]り居し若き男と共に立去りしよし。牛の鞦[シリガイ]爰[ココ]に外れてモウともギュウとも云うべき言葉なく、何と珠運に云い訳せん、さりとて猥褻[ミダラ]なる行[オコナイ]はお辰に限りて無[ナカ]りし者をと蜘手[クモデ]に思い屈する時、先程の男来[キタ]りて再[マタ]渡す包物[ツツミモノ]、開[ヒラキ]て見れば、一筆啓上仕候[イッピツケイジョウツカマツリソウロウ]未[イマ]だ御意を得ず候[ソウラ]え共お辰様身の上につき御厚情相掛[ゴコウセイアイカケ]られし事承り及びあり難く奉存候[ゾンジタテマツリソウロウ]さて今日貴殿御計[オンハカライ]にてお辰婚姻取結ばせられ候由[ソウロウヨシ]驚入申候[オドロキイリモウシソウロウ]仔細[シサイ]之[コレ]あり御辰様儀婚姻には私方[ワタクシカタ]故障御座候[コショウゴザソウロウ]故[ユエ]従来の御礼旁[カタガタ]罷り出[イデ]て相止申[アイトメモウス]べくとも存候[ゾンイソウラ]え共[ドモ]如何[イカ]にも場合切迫致し居り且[カツ]はお辰様心底によりては私一存にも参り難く候様[ヨウ]の義に至り候ては迷惑に付[ツキ]甚[ハナハ]だ唐突不敬なれども実はお辰様を賺[スカ]し申し此[コノ]婚姻相延申候[アイノベモウシソウロウ]よう決行致し候尚又[ナオマタ]近日参上仕[ツカマツ]り入り込[コミ]たる御話し委細申上[モウシアグ]べく心得に候え共[ドモ]差当り先日七蔵に渡され候金百円及び御礼の印[シルシ]までに金百円進上しおき候間[ソウロウアイダ]御受納下され度[タク]候不悉[フシツ]、亀屋吉兵衛様へ岩沼子爵家従[ケライ]田原栄作とありて末書[マッショ]に珠運様とやらにも此旨[コノムネ]御鶴声[ゴカクセイ]相伝[アイツタエ]られたく候と筆を止[トド]めたるに加えて二百円何だ紙なり。

「一筆啓上仕候」は男子の手紙の書き出しに用います。「不悉」は手紙の終わりに用いる語です。

というところで、「第六回」が終了します。

さっそく「第七回」を読んでいきたいと思うのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?