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#631 敵をあざむく二位尼の秘策

それでは今日も山田美妙の『蝴蝶』を読んでいきたいと思います。

海は軍船を床として、討ち死にした武士の骸が幾百と漂っています。猛将・平教経が源氏の旗下へ飛び込み、敵を蹴散らします。源義経は危ういと思い、旗下へ引き返しましたが、反動の力すさまじく、敵は安徳天皇が乗った御座船に近寄ります。安徳帝の女房どもは泣きたてて取りすがり、平家の柱石といわれた平知盛の唇もわななきます。知盛は拝謁するや否や引き返して敵に近付き士卒を励まします。敵はさらに御座船に近づきます。矢が雨のように降ってきます。いくさの様子を見ていた二位尼は御座船の奥の間へ主要な八人を呼び寄せます。八人のひとりである源典侍に従っている十七の官女・蝴蝶は立ち聞きをやめて、船の端に佇み四方を見まわし、再び奥へ戻ると、二位尼が安徳帝の手を引いて立っています。

と、ここですいません…いまさらですが…胡蝶ではなく…蝴蝶でした…

「蝴蝶、いくさは如何[イカ]にぞや」
問われては墓々[ハカバカ]しくも言えません。
「口惜[クチオ]しゅうこそ。みそなわせ、御船[ミフネ]ちかきに源氏も来ぬる」。
「つなぎ止めしも甲斐なかりき。いざさらば我もなどてやたゆとうべき。いでや人々もろともに」……

「などてや揺蕩うべき」は、「どうして躊躇することがあるだろうか、いや、するべきではない」という意味です。

言掛[イイカ]けてはらはらと涙を落して蝴蝶をじっと見詰めたまゝやゝ身繕[ミヅクロ]いをする体たらく、如何にも合点[ガッテン]が行きません。
「人々もろともに、そも如何にさせたまう」。
「もろともに水にこそ」。
「今はや入[イ]らせたまわんとや。そは勿体なし玉体[ギョクタイ]を」。
「玉体と和女[オコト]も思えるよ。これは如何に」。

「玉体」は天皇の体のこと、「和女」は親しみを込めて相手を呼ぶときに使います。

言って尼が主上の被衣[カツギ]を取退[トリノ]ければこれは主上と思いの外[ホカ]、知盛の子息です。蝴蝶もこれには駭[オドロ]きました。
「こは、そも。そもそも主上は」
「今はや落ちさせたまいけり。かくてぞ敵を欺[アザム]くべき」。
「はや落ちさせたまいけり」。あまりの意外に息もせわしく、「女院の君も諸共[モロトモ]に」。

女院の君は、健礼門院のことです。

「然[サ]なり﹆供奉[グブ]しまいらしゝは先[サ]き程呼びぬる八人[ヤタリ]になん。和女[オコト]もいざ疾[ト]く……はや事迫りぬ……ためらいたまいそ﹆落延[オチノ]びんほどは落延びて御門[ミカド]を助けまいらせてよ。こゝに心な残したまいそ」。
言う内[ウチ]人の叫ぶ声は既に間近く聞えて来ます。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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