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#1502 そのままぐずりと座りイビキなり

それでは今日も幸田露伴の『五重塔』を読んでいきたいと思います。

清吉は遠慮も忘れて、盃を重ねて、赤ら顔をさらに赤くして、朋輩の噂、朋友の失策した話などしゃべっているうち、とろりとなった眼を急に見張って、「一体あんな馬鹿野郎を親方がかわいがる理由が私にはわかりません」と十兵衛に対する愚痴を始めます。「仕事といえば馬鹿丁寧で、かんなを三度もとぐようなノロマな奴。なにをひとつ頼んでも間に合ったためしがない。第一、あいつはつきあい知らずでシャモ鍋つつきあったこともない。いつか大師へみんなで行く時も、『おれは貧乏で行かれない』と言ったきりの挨拶。愛想も義理も知らなすぎるではありませんか。ガキのころから親方の手についていた私とちがって、奴は渡り者。私より人一倍深く親方を有難い、かたじけないと思ってなければならぬはず。親方、姉御、私は悲しくなってきました」。

私[ワッチ]は若[モ]しもの事があれば親方や姉御のためと云や黒煙[クロケムリ]の煽[アオ]りを食つても飛び込むぐらゐの了見は持つて居るに、畜生ッ、あゝ人情[ナサケ]無い野郎め、のつそりめ、彼奴[アイツ]は火の中へは恩を脊負[ショ]つても入りきるまい、碌な根性は有[モ]つて居まい、あゝ人情[ナサケ]無い畜生めだ、と酔[ヨイ]が図らず云ひ出せし不平の中に潜り込んで、めそ/\めそ/\泣き出[イダ]せば、お吉は夫の顔を見て、例[イツモ]の癖が出て来たかと困つた風情[フゼイ]は仕ながらも自己[オノレ]の胸にものつそりの憎さがあれば、幾分[イクラ]かは清が言葉を道理[モットモ]と聞く傾きもあるなるべし。

「黒煙の煽りを食っても飛び込む」とは、「火の中にでも飛び込む」という意味です。

源太は腹に戸締[トジマリ]の無きほど愚魯[オロカ]ならざれば、猪口[チョク]を擬[サ]しつけ高笑ひし、何を云ひ出した清吉、寝惚[ネボケ]るな我[オレ]の前だは、三[サン]の切[キリ]を出しても初まらぬぞ、其手[ソノテ]で女でも口説きやれ、随分ころりと来るであらう、汝[キサマ]が惚[ノロ]けた小蝶[コチョウ]さまの御部屋では無い、アッハヽヽと戯言[オドケ]を云へば尚[ナオ]真面目に、木槵珠[ズズダマ]ほどの涙を払ふ其手[ソノテ]をぺたりと刺身皿の中につつこみ、しやくり上げ歔欷[シャクリアゲ]して泣き出し、あゝ情無い親方、私[ワッチ]を酔漢[ヨッパライ]あしらひは情無い、酔つては居ませぬ、小蝶なんぞは飲[タ]べませぬ、左様[ソウ]いへば彼奴[アイツ]の面[ツラ]が何所[ドコ]かのつそりに似て居るやうで口惜[クヤシ]くて情無い、のつそりは憎い奴、親方の対[ムコウ]を張つて大それた、五重の塔を生意気にも建てやうなんとは憎い奴憎い奴、

「腹に戸締のない」とは、言わなくていいことも弁えない、という意味です。

「三の切」とは、義太夫節で三段目の終わりの語り場のことです。全編の山場のところで、もっとも悲哀が色濃い場面です。一座の最高位の太夫が語るところであり、講談でもいちばん盛り上がるところです。

親方が和[ヤサ]し過ぎるので増長した謀反人め、謀反人も明智のやうなは道理[モットモ]だと伯龍[ハクリュウ]が講釈しましたが彼奴[アイツ]のやうなは大悪無道[ダイアクブドウ]、親方は何日[イツ]のつそりの頭を鉄扇で打[ブ]ちました、何日[イツ]蘭丸にのつそりの領地を与[ヤ]ると云ひました、

伯龍は、神田伯龍のことで、講釈師の名跡にして神田派の開祖です。初代伯龍(生没年不詳)は、神田辺羅坊寿観[ベラボウスカン](生没年不詳)の弟子で、享保(1720-1730頃)のころ、大名旗本の邸に招かれ、軍事軍談を読み、大いに評判を得たといわれています。二代目伯龍から名跡を継いだ桜井清三郎(生没年不詳)はその後大阪に拠点を移して活動します。これによって、桜井を大阪初代神田伯龍として大阪で襲名が続きますが、江戸の松村伝吉(1856-1901)が大阪に権利が移っていたことを承知の上で三代目伯龍を名乗ります。秋元格之助(1873-1925)が江戸四代目神田伯龍を襲名したのは1903(明治36)年のことです。『五重塔』が連載されたのは1891(明治24)年のことですので、おそらくここでいう伯龍とは、江戸三代目伯龍の松村伝吉のことかと思われます。講釈では、光秀を憎んだ信長が、小姓の蘭丸に鉄扇を渡して、蘭丸が「上意でござる」と言って光秀の頭を叩いたり、光秀の領地を取り上げて蘭丸に与える場面が出てきます。

私[ワッチ]は今に若[モシ]も彼奴[アイツ]が親方の言葉に甘へて名を列[ナラ]べて塔を建てれば打捨[ウッチャ]つては置けませぬ、擲[タタ]き殺して狗[イヌ]に呉れます此様[コウ]いふやうに擲き殺して、と明徳利[アキドクリ]の横面[ヨコヅラ]突然[イキナリ]打[タタ]き飛ばせば、砕片[カケラ]は散つて皿小鉢[サラコバチ]跳り出[イダ]すやちん鏘然[カラリ]。馬鹿野郎め、と親方に大喝[ダイカツ]されて其儘[ソノママ]にぐづりと坐り沈静[オトナシ]く居るかと思へば、散かりし還原海苔[モドシノリ]の上に額おしつけ既[ハヤ]鼾声[イビキ]なり。源太はこれに打笑ひ、愛嬌のある阿呆[アホウ]めに掻巻[カイマキ]かけて遣れ、と云ひつゝ手酌にぐいと引かけて酒気を吹くこと良[ヤヤ]久しく、怒つて帰つて来はしたものゝ彼様[アア]では高が清吉同然、さて分別がまだ要るは。

というところで、「その十七」が終了します。

さっそく「その十八」を読んでいきたいと思うのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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