#648 依田氏は、芸妓に冗談をも言いません
それでは今日も山田美妙の『明治文壇叢話』を読んでいきたいと思います。
美妙は、徳富蘇峰・森田思軒・朝比奈知泉の三氏から、「文学会を組織しよう」という手紙をもらい、1888年9月8日、芝公園の三緑亭へと赴きます。午後五時半、出席の第一番は依田學海、依田は時間を間違えない性格のようで、会の集まりには誰よりも早く来るみたいで…。その後、続々と、坪内逍遥や森田思軒など、総勢11人が集まります。依田氏は、こういう集まりの時には、誰よりも早く来る性格のようで、依田氏が会合にいれば、場が賑やかになるそうで…
馴染むと自然、依田氏も言葉がぞんざいに為[ナ]りますがぞんざいだと思ふ下から又甚だしい、丁寧な語気[ゴキ]にも為ります。依田氏に限らぬ事ですが、依田氏も左様[ソウ]です。敬意を充分に含んだ頃には「斯[コ]うですな」と「な」重[オモ]に言ッて、すこし親しんで来ると「な」が「ね」にかはります。
依田氏は全[マル]で禁酒禁烟会員、酒も烟草[タバコ]も用ゐません。宴席で座[ザ]をくづした事も有りません。席に列[ツラナ]ッた芸妓などに公然多く冗談をも言ひません。新小説発兌[ハツダ]の前同好会員が日本ばしの菊住(料理店)に集まりました。麗人[レイジン]も席を周旋した、其時[ソノトキ]只[タダ]一回主人は依田氏が芸妓と笑ッて会話をして居るのを見ました。其他[ソノタ]の会では一度も見ません。
盛り上げ上手なのに、禁酒禁煙で、芸妓にも冗談を言わないなんて、小説界の参謀みたいな人ですねw
『新小説』は、1889(明治22)年に創刊された文芸雑誌で、須藤南翠(1857-1920)、森田思軒、饗庭篁村[アエバコウソン](1855-1922)、石橋忍月(1865-1926)、依田學海、山田美妙らからなる14名の文学同好会が編集し、発行されました。
去年の春の夜おぼろ月の床[ユカ]しさ、蒸し籠[コ]めた梅が香[カ]で人をぬくめるやうな心持ち、そゞろあるきが面白さうに為[ナ]ッて私も家を立ち出で小川町にさしかゝッた処で依田氏に会ひました。依田氏の真率[シンソツ]はいつに変はらず、今日もそゞろあるきながら友だちの家を訪づれたかへりとて身軽な打扮[イデタチ]をして居ました。藍勝[アイガ]ちのバッチをあらはして裾を一寸[チョッ]と端折[ハショ]ッたところは、如何にも飾らぬ体[テイ]でした。
「真率」とは、正直で飾り気のないこと、バッチとは、朝鮮語で「ズボン状の袴」の意味の「パジ(ba-ji)」に由来する股引のことでパッチともいいます。江戸時代から流行し、関西では木綿製・絹製ともに関係なく丈の長いものを指し、旅行用の短いものを「股引」といい、関東では木綿製を「股引」、絹製を「パッチ」と呼んでいました。
これらは些細な事、こゝに唯[タダ]一ツ噴出[フキダ]すばかりの話がありました。その活劇をしたのは依田氏と私とでした。
いったい、その活劇とは、どんな出来事なのか…
それはまた明日、近代でお会いしましょう!
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?