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#1531 その三十二は、東京が暴風雨に襲われる様子から……

それでは今日も幸田露伴の『五重塔』を読んでいきたいと思います。

今日から「その三十二」に入ります!それでは早速読んでいきましょう!

其三十二

長夜[チョウヤ]の夢を覚まされて江戸四里四方の老若男女、悪風来りと驚き騒ぎ、雨戸の横柄子[ヨコザル]緊乎[シッカ]と挿せ、辛張棒[シンバリボウ]を強く張れと家々ごとに狼狽[ウロタ]ゆるを、可愍[アワレ]とも見ぬ飛天夜叉王[ヒテンヤシャオウ]、怒号の声音[コワネ]たけ/″\しく、汝等[ナンジラ]人を憚るな、汝等[ナンジラ]人間[ヒト]に憚られよ、人間[ヒト]は我等を軽んじたり、久しく我等を賤[イヤシ]みたり、我等に捧ぐべき筈の定めの牲[ニエ]を忘れたり、這ふ代りとして立つて行く狗[イヌ]、驕奢[オゴリ]の塒[ネグラ]巣作れる禽[トリ]、尻尾[シリオ]なき猿、物言ふ蛇、露[ツユ]誠実[マコト]なき狐の子、汚穢[ケガレ]を知らざる豕[イノコ]の女[メ]、彼等に長く侮[アナド]られて遂に何時[イツ]まで忍び得む、我等を長く侮らせて彼等を何時まで誇らすべき、忍ぶべきだけ忍びたり誇らすべきだけ誇らしたり、六十四年は既に過ぎたり、

「六十四」には、易の八卦をふたつ掛け合わせて構成される、宇宙の万象を包含できると考えられる基本図表「六十四卦」があります。「易に太極あり、是れ両儀を生ず。両儀、四象を生じ、四象、八卦を生ず。八卦、吉凶を定む」とあることから、「江戸四里四方」と掛けたのかもしれません。「六十四年は既に過ぎたり」とは、「魔王の封印が解き放たれた」ということでしょうね。念の為、六十四卦の基本図表を載せておきます。

我等を縛[バク]せし機運の鉄鎖[テッサ]、我等を囚[トラ]へし慈忍[ジニン]の岩窟[イワヤ]は我が神力[シンリキ]にて扯断[チギ]り棄てたり崩潰[クズレ]さしたり、汝等[ナンジラ]暴[ア]れよ今こそ暴れよ、何十年の恨[ウラミ]の毒気を彼等に返せ一時[イチジ]に返せ、彼等が驕慢[ホコリ]の気[ケ]の臭さを鉄囲山外[テツイサンゲ]に攫[ツカ]んで捨てよ、

鉄囲山は、世界の中心にある須弥山を囲む九山八海[クセンハッカイ]の一つで最も外側の鉄でできた山のことです。つまり、世界の外側に放り出せと言っているわけですね。ちなみに九山とは、須弥山・持双山・持軸山・檐木山・善見山・馬耳山・象耳山・尼民達羅山・鉄囲山の九つです。

彼等の頭[コウベ]を地につかしめよ、無慈悲の斧の刃味[ハアジ]の好さを彼等が胸に試みよ、惨酷[ザンコク]の矛、瞋恚[シンイ]の剣[ツルギ]の刃糞[ハクソ]と彼等をなしくれよ、彼等が喉[ノンド]に氷を与へて苦寒[クカン]に怖れ顫[ワナナ]かしめよ、彼等が胆[キモ]に針を与へて秘密の痛みに堪[タエ]ざらしめよ、彼等が眼前[メサキ]に彼等が生[ナ]したる多数[オオク]の奢侈[シャシ]の子孫を殺して、玩物[ガンブツ]の念を嗟歎[サタン]の灰の河に埋[ウズ]めよ、彼等は蚕児[カイコ]の家を奪ひぬ汝等彼等の家を奪へや、彼等は蚕児の智慧を笑ひぬ汝等彼等の智慧を讚[サン]せよ、すべて彼等の巧みとおもへる智慧を讚せよ、大とおもへる意[ココロ]を讚せよ、美[ウルワ]しと自らおもへる情を讚せよ、協[カナ]へりとなす理[リ]を讚せよ、剛[ツヨ]しとなせる力を讚せよ、すべては我等の矛の餌[エ]なれば、剣[ツルギ]の餌なれば斧の餌なれば、讚して後[ノチ]に利器[エモノ]に餌[カ]ひ、よき餌をつくりし彼等を笑へ、嬲[ナブ]らるゝだけ彼等を嬲れ、急に屠[ホフ]るな嬲り殺せ、活[イカ]しながらに一枚々々皮を剥ぎ取れ、肉を剥ぎとれ、彼等が心臓[シン]を鞠[マリ]として蹴よ、枳棘[カラタチ]をもて脊を鞭[ウ]てよ、歎息の呼吸[イキ]涙の水、動悸の血の音悲鳴の声、其等[ソレラ]をすべて人間[ヒト]より取れ、残忍の外[ホカ]快楽[ケラク]なし、酷烈ならずば汝等[ナンジラ]疾[ト]く死ね、暴[ア]れよ進めよ、無法に住[ジュウ]して放逸無慚[ホウイツムザン]無理無体[ムリムタイ]に暴[ア]れ立て暴れ立て進め進め、神とも戦へ仏[ブツ]をも擲[タタ]け、道理を壊[ヤブ]つて壊りすてなば天下は我等がものなるぞと、叱咤[シッタ]する度[タビ]土石[ドセキ]を飛ばして丑の刻より寅の刻、卯となり辰となるまでも毫[チット]も止まず励ましたつれば、数万[スマン]の眷属[ケンゾク]勇みをなし、水を渡るは波を蹴かへし、陸[オカ]を走るは沙[スナ]を蹴かへし、天地を塵埃[ホコリ]に黄[キ]ばまして日の光をもほとほと掩[オオ]ひ、斧を揮[フル]つて数寄者[スキシャ]が手入れ怠りなき松を冷笑[アザワラ]ひつゝほつきと斫[キ]るあり、矛を舞はして板屋根に忽[タチマ]ち穴を穿[ウガ]つもあり、ゆさ/\/\と怪力[カイリョク]もてさも堅固なる家を動かし橋を揺[ユル]がすものもあり。

なんだか『風流佛』を読んでいるような……いきなり表現がガラリと変わりましたね。というより、露伴って、魯迅が名づけた、中国・明代の「神魔小説」のようなものをほんとは書きたかったのではないでしょうか。とにかく怪異的な表現になると、突然活き活きとし始めますよねw……「神魔小説」に関しては#017でちょっとだけ紹介しています。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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