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#1510 不忍の池にさらりと流して、おれも忘れよう
それでは今日も幸田露伴の『五重塔』を読んでいきたいと思います。
浮葉に露の玉がゆらぎ、立葉に風がそよふく夏の眺めもさらりとなくなり、赤とんぼが菱藻をなぶり、初霜が向丘の梢をそめます。世を忍ぶようにそろりと歩く白鷺、暮れゆく空に光り出す星を背に飛ぶ雁、そんな不忍池の景色を酒の肴にして、蓬莱屋の裏二階で気持ちよさそうに人を待つ男がいます。職人らしい言語挙動に見えながらすこしも下卑ぬ上品さ。「さぞお待ちどおでござりましょう」と馴染みのお伝という女が言います。「お待ちどおで、お待ちどおで、たまりきれぬ。人の気も知らないで何をしているであろう」。ようやく来たのは、艶もなき武骨男、ぼうぼう頭のごりごりヒゲ、顔は汚れて着物は破れています。源太は笑みを含めながら、「さあ十兵衛、ここへ来てくれ」。こんなところへ来てもらったのは何でもない、じつは仲直りしてもらいたくて……こないだの夜、おれが言い過ぎた事を忘れてもらいたい。「聞いてくれ、こういうわけだ」。
過日[コナイダ]の夜は実は我[オレ]も余り汝[キサマ]を解らぬ奴と一途に思つて腹も立つた、恥しいが肝癪も起し業[ゴウ]も沸[ニヤ]し汝[キサマ]の頭を打砕[ブッカ]いて遣りたいほどにまでも思ふたが、然[シカ]し幸福[シアワセ]に源太の頭が悪玉にばかりは乗取られず、清吉めが家[ウチ]へ来て酔つた揚句に云ひちらした無茶苦茶を、嗚呼[アア]了見の小い奴は詰らぬ事を理屈らしく恥かしくも無く云ふものだと、聞て居るさへ可笑くて堪らなさに不図[フト]左様[ソウ]思つた其[ソノ]途端、其夜[ソノヨ]汝[キサマ]の家[ウチ]で陳[ナラ]べ立つて来た我[オレ]の云ひ草に気が付いて見れば清吉が言葉と似たり寄つたり、ゑゝ間違つた一時[イチジ]の腹立[ハラダチ]に捲[マ]き込まれたか残念、源太男が廃[スタ]る、意地が立たぬ、上人の蔑視[サゲスミ]も恐ろしい、十兵衞が何も彼[カ]も捨[ステ]て辞退するものを斜[ハス]に取つて逆意地[サカイジ]たてれば大間違ひ、とは思つても余り汝[キサマ]の解らな過ぎるが腹立[ハラダタ]しく、四方八方何所[ドコ]から何所まで考へて、此所[ココ]を推せば其所[ソコ]に襞襀[ヒズミ]が出る、彼点[アスコ]を立てれば此点[ココ]に無理があると、まあ我[オレ]の智慧分別ありたけ尽して我[オレ]の為ばかり籌[ハカ]るでは無く云ふたことを、無下[ムゲ]に云ひ消されたが忌々[イマイマ]しくて忌々しくて随分堪忍[ガマン]も仕かねたが、扨[サテ]いよ/\了見を定[キ]めて上人様の御眼にかゝり所存を申し上げて見れば、好い/\と仰せられた唯の一言に雲霧[モヤモヤ]は既[モウ]無くなつて、清[スズ]しい風が大空を吹いて居るやうな心持になつたは、昨日[キノウ]はまた上人様から熊々[ワザワザ]の御招[オマネキ]で、行つて見たれば我[オレ]を御賞美の御言葉数々の其上[ソノウエ]、いよ/\十兵衞に普請一切申しつけたが蔭になつて助けてやれ、皆[ミナ]汝[ソナタ]の善根福種になるのぢや、
「善根」とは善果を得るような行い、「福種」は幸福の種子となるような行いのこと、「善根福種[ゼンコンフクシュ]」とは、よい報いを招くもとになる行為のことです。
十兵衞が手には職人もあるまい、彼[アレ]がいよ/\取掛る日には何人[イクラ]も傭ふ其中[ソノウチ]に汝[ソナタ]が手下の者も交[マジ]らう、必ず猜忌邪曲[ソネミヒガミ]など起さぬやうに其等[ソレラ]には汝[ソナタ]から能く云ひ含めて遣るがよいとの細[コマカ]い御諭し、何から何まで見透しで御慈悲深い上人様のありがたさにつく/″\我折[ガオ]つて帰つて来たが、十兵衞、過日[コナイダ]の云ひ過ごしは堪忍[カニ]して呉れ、斯様[コウ]した我[オレ]の心意気が解つて呉れたら従来[イママデ]通り浄[キヨ]く睦[ムツマ]じく交際[ツキア]つて貰はう、一切が斯様[コウ]定[キマ]つて見れば何と思つた彼[カ]と思つたは皆[ミナ]夢の中の物詮議[モノセンギ]、後[アト]に遺[ノコ]して面倒こそあれ益[ヤク]無いこと、此[コノ]不忍の池水[イケミズ]にさらりと流して我[オレ]も忘れう、十兵衞汝[キサマ]も忘れて呉れ、
ということで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!