#1486 その九は、上人が源太・十兵衛に、ある例え話をするところから…… 26 tokkodo/とっこうどう 2024年9月27日 00:25 それでは今日も幸田露伴の『五重塔』を読んでいきたいと思います。今日から「その九」に入ります!それでは早速読んでいきましょう!其九小僧[コボウズ]が将[モ]つて来し茶を上人自ら汲み玉ひて侑[スス]めらるれば、二人とも勿体ながりて恐れ入りながら頂戴するを、左様[ソウ]遠慮されては言葉に角[カド]が取れいで話が丸う行かぬは、さあ菓子も挟んではやらぬから勝手に摘[ツマ]んで呉れ、と高坏[タカツキ]推遣[オシヤ]りて自らも天目[テンモク]取り上げ喉を湿[ウルオ]したまひ、面白い話といふも桑門[ヨステビト]の老僧等[ワシラ]には左様[ソウ]沢山無いものながら、此頃読んだ御経[オキョウ]の中につく/″\成程と感心したことのある、聞いて呉れ此様[コウ]いふ話しぢや、桑門とは、僧侶のことで、そこに「よすてびと」とルビが振られてますね。むかし某国[アルクニ]の長者が二人の子を引きつれて麗[ウララ]かな天気の節[オリ]に、香[カオリ]のする花の咲き軟[ヤワラ]かな草の滋[シゲ]つて居る広野[ヒロノ]を愉快[タノシ]げに遊行[ユギョウ]したところ、水は大分に夏の初め故[ユエ]涸[カ]れたれど猶清らかに流れて岸を洗ふて居る大きな川に出逢[イデア]ふた、其[ソノ]川の中には珠のやうな小磧[コイシ]やら銀のやうな砂で成[デキ]て居る美しい洲[ス]のあつたれば、長者は興に乗じて一尋[ヒトヒロ]ばかりの流[ナガレ]を無造作に飛び越え、彼方此方[アナタコナタ]を見廻せば、洲の後面[ウシロ]の方[カタ]もまた一尋ほどの流で陸と隔てられたる別世界、全然[マルデ]浮世の腥羶[ナマグサ]い土地[ツチ]とは懸絶[カケハナ]れた清浄[ショウジョウ]の地であつたまゝ独り歓び喜んで踊躍[ユヤク]したが、渉[ワタ]らうとしても渉り得ない二人の児童[コドモ]が羨ましがつて喚[ヨ]び叫ぶを可憐[アワレ]に思ひ、汝[ソナタ]達には来ることの出来ぬ清浄の地であるが、然程[サホド]に来たくば渡らして与[ヤ]るほどに待つて居よ、見よ/\我が足下の此[コノ]磧[コイシ]は一々[イチイチ]蓮華[レンゲ]の形状[カタチ]をなし居る世に珍しき磧[コイシ]なり、我が眼の前の此砂は一々[イチイチ]五金[ゴキン]の光を有[モ]てる比類[タグイ]稀なる砂なるぞと説き示せば、二人は遠眼[トオメ]にそれを見ていよ/\焦躁[アセ]り渡らうとするを、長者は徐[シズカ]に制しながら、洪水[オオミズ]の時にても根こぎになつたるらしき棕櫚[シュロ]の樹の一尋[ヒトヒロ]余りなを架渡[カケワタ]して橋として与[ヤ]つたに、我が先へ汝[ソナタ]は後[アト]にと兄弟争ひ鬩[セメ]いだ末、兄は兄だけ力強く弟[オトト]を終に投げ伏せて我意[ガイ]の勝[カチ]を得たに誇り高ぶり、急ぎ其[ソノ]橋を渡りかけ半途[ナカバ]に漸く到りし時、弟は起き上りさま口惜[クヤシ]さに力を籠めて橋を盪[ウゴ]かせば兄は忽ち水に落ち、苦しみ踠[モガ]いて洲に達せしが、此時[コノトキ]弟は既[ハヤ]其[ソノ]橋を難なく渡り超えかくるを見るより兄も其[ソノ]橋の端を一揺り揺り動[ウゴカ]せば、固[モト]より丸木の橋なる故[ユエ]弟も堪[タマ]らず水に落ち、僅[ワズカ]に長者の立つたるところへ濡れ滴[シタタ]りて這ひ上つた、爾時[ソノトキ]長者は歎息して、汝[ソナタ]達には何と見ゆる、今汝等[ソナタラ]が足踏みかけしより此[コノ]洲は忽然[タチマチ]前と異なり、磧[コイシ]は黒く醜[ミニク]くなり沙[スナ]は黄ばめる普通[ツネ]の沙となれり、「五金」とは、金・銀・銅・鉄・錫のことです。ということで、この続きは……また明日、近代でお会いしましょう! ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する この記事が参加している募集 #読書感想文 210,886件 #日記 #毎日note #小説 #毎日更新 #毎日投稿 #読書 #読書感想文 #文学 #連続投稿 #小説家 #明治 #近代 #近代文学 #幸田露伴 #五重塔 #紅露時代 #スローリーディング 26