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#1569 女の身にしては最も聞きたいところ

それでは今日も尾崎紅葉の『多情多恨』を読んでいきたいと思います。

夜のうちに雨がやんだ空は朗らかで、葉山は新聞を読んでいます。そばには、ブリキのラッパや食いかけのビスケットが散らかって、男の子が遊んだとみられる光景。しずかに襖を開けて入って来る者があるので、葉山は俯いたまま「面白い事があるぜ、ありがたい」というと、それは細君ではなく父親。「なにがそんなにありがたいことがあるえ」「なあに、ありがたいと思ったら、なんでもなかったのでした。こんど『おとっさん』というと『かかあ』が現れるだろう」。すると「なにを笑っておいでなさる」とお種が入ってきます。お種がせっせと支度をして湯を注す段になり、葉山が「おとっさんの湯呑みは?」と聞くと「今しがた髭を剃りに」「朝っぱらからおめかしだな。しかし可哀そうなことをしたよ」「なにがです?」「お類さんよ。鷲見が可哀そうだ。目もあてられない」「それが本当の夫婦の情合なのでしょう」「おれなんぞはどっちのくちだ。ほんとうのくちか、まぁのくちか」。お種にとっては、こういう無駄口をたたくのがうるさくてならぬのである。堂々たる男子であり、一家の主人であり父でありながら、こういう愚にも付かぬことを言って喜んでいるのか気が済まない。男とは、自分の父親のように、真面目に怖い顔をして、威厳を保つべきだと信じている。母親は父親に対して神に仕えるように恭順であるのを見ていた。お種はそれを手本にしているから、妻は妻たる本分を守らねばと料簡している。

然[ソウ]かと云つて、微塵も夫を嫌つてゐるのではない、寧ろ自分の方が夐[ハルカ]に惚勝[ホレマサ]つてゐるので、唯[タダ]此[コノ]贅辨[ムダグチ]と真面目でないの二件[フタツ]は、牛肉[ギュウ]は所好[スキ]であるが膏肉[アブラミ]は所悪[キライ]であると云ふぐらゐの所である。故にお種は務めて此[コノ]膏肉[アブラミ]を避けてゐる。避ける為に自分は益[マスマス]真面目になるので、余り真面目ゆゑ、夫は些[チッ]と揉むでやらうで、弥[イヨイヨ]気軽にする。因[ソコ]で相去ることは益[マスマス]遠くなる。
又出たと思ふと、細君は始[ハジメ]の内は好加減[イイカゲン]に遇[アシラ]つてゐて、それでも止まぬ時には黙つて了[シマ]ふ。すると葉山も張合[ハリアイ]が無さに、遂には店を仕舞ふと云ふので、毎[イツ]も落着[ラクチャク]する。
もはや奥の手の無挨拶を始めても可[イ]いのであるが、如何[イカ]にも聞きたいのは柳之助の事、彼の平生[ヘイゼイ]細君を大事にするのは親しく見聞[ケンブン]する所であつた。その人がその人を喪[ウシナ]つたのであるから、甚麼[ドンナ]に哀悼[ナゲキ]をしてゐるであらうとは、女の身にしては最も聞きたい所。
「それよりは、鷲見様は甚麼[ドンナ]様子でした。本当に那麼[ソンナ]に泣いて御在[オイデ]でしたか。」
「まあ今に来るから見な、可哀さうに痩殺[ヤセッコ]けて了[シマ]つた。」
「お痩せなすつて?」とお種は眉を顰[ヒソ]める。
「生きてゐる効[カイ]が無いなんぞと言つてるのだ。あゝでも窮[コマ]つて了[シマ]ふ。」
「生きてゐる効[カイ]が無い?」と弥[イヨイヨ]眉を顰める。
お種は例[イツ]に無く進むで種々[サマザマ]の事を訊[タズ]ねるので、葉山も諄々[シミジミ]昨夜[ユウベ]の様子を話して聞かせた。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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