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#1629 もう今日からはお客様じゃなくって!
それでは今日も尾崎紅葉の『多情多恨』を読んでいきたいと思います。
義母の、お島を置いていく提案を、せっかくの好意であるが、柳之助は断ります。義母は、柳之助がお島のことを嫌いであることを知らないから、断る理由がわかりません。お類が亡くなってからの柳之助の様子は、一部始終、老婢から聞いている。家を賑やかにせねば、ますます鬱になってしまう。是非ともお嬢様をお貸し下さいと老婢から頼まれたのである。柳之助は義母からしみじみ説得されて、ついには言葉が出なくなって決まってしまいます。柳之助はすこぶる不平であった。このときばかりは義母も憎く、老婢も生意気で、お島はイヤだった。義母は「こっちでいいと思ったからそうしてしまった」の主義なので、柳之助の孤立を侮っているのでもなければ、変人をいいことにかき回したいのでもない。
其[ソノ]翌日柳之助の出勤を待つて、母親は自宅へ引き取つた、お島は早速木綿裏[モメンウラ]の衣類[キモノ]に着替へて、袂から友禅の襷[タスキ]さへ出る始末。それを見ると、
「如何[イカ]な事でも貴方、那様[ソンナ]物を。」と元は笑つた。
「いゝえ、働きますよ。もう今日からはお客様ぢやなくつて。」
御手傳[オテツダイ]と云ふ資格で、二階掛[ニカイガカリ]と為[ナ]つたのである。
彼は金縁の眼鏡を掛けて、薄色縮緬[ウスイロチリメン]の羽織を着て、お嬢様として見たよりは、働きぶりの世話に變[ヤツ]した娘形[ムスメナリ]の方が、夐[ハルカ]に様子が好[ヨ]く見えるので、同じ御同胞[ゴキョウダイ]でも、歿[ナ]くなられた奥様は、召物[メシモノ]の裙[スソ]を曳[ヒ]いて、人の働くのを懐手[フトコロデ]して立つて見てゐらつしやるのが御好[オスキ]であつたし、又[マタ]其[ソレ]が好[ヨ]く御似合[オニアイ]なすつたが、と元は何方[ドチラ]かと云へば、如才[ジョサイ]無いお島の方に惚れたのである。若し是で眼鏡さへ無かつたらと、顔を見る度[タビ]気にしてはゐたが。
そんなに女性の眼鏡は不格好なものだったんですかねw
左[ト]にも右[カク]にもお島は能く行届[ユキトド]いて柳之助の世話をした。總[スベ]ての仕向[シムケ]が姉よりは深切[シンセツ]で、而[ソウ]してなかなか実意もある。好[ヨ]く為[サ]れるだけ柳之助は懊悩[ウルサ]くて、三日四日と経つほど益[マスマス]怺[コラ]へかねる。傍[ソバ]に居られたら、勿論の事、聲[コエ]が聞[キコ]えてさへ心地[ココロモチ]が快[ヨ]くないのに、否[イヤ]といふほど附絡[ツキマト]はれるので、内には居禁[イタタマ]らなくなつて、一日[アルヒ]学校から帰ると直[スグ]に飛出[トビダ]して、「類さんの所へ」行つた。
というところで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!