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#1492 その十二は、食事を終えて十兵衛を待っているところから……

それでは今日も幸田露伴の『五重塔』を読んでいきたいと思います。

今日から「その十二」に入ります!それでは早速読んでいきましょう!

其十二

色も香[カ]も無く一言に黙つて居よと遣り込められて、聴かぬ気のお吉顔ふり上げ何か云ひ出したげなりしが、自己[オノレ]よりは一倍きかぬ気の夫の制するものを、押返[オシカエ]して何程云ふとも機嫌を損ずる事こそはあれ、口答への甲斐は露無きを経験[オボエ]あつて知り居れば、連添ふものに心の奥を語り明して相談かけざる夫を恨めしくはおもひながら、其所[ソコ]は怜悧[リコウ]の女の分別早く、何も妾[ワタシ]が遮つて女の癖に要らざる嘴[クチ]を出すではなけれど、つい気にかゝる仕事の話し故思はず様子の聞きたくて、余計な事も胸の狭いだけに饒舌[シャベ]つた訳、と自分が真実籠めし言葉を態[ワザ]と極々[ゴクゴク]軽う為[シ]て仕舞ふて、何所[ドコ]までも夫の分別に従ふやう表面[ウワベ]を粧[ヨソオ]ふも、幾許[イクラ]か夫の腹の底に在る煩悶[モシャクシャ]を殺[ソ]いで遣りたさよりの真実[マコト]。源太もこれに角張[カドバ]りかゝつた顔をやわらげ、何事も皆天運[マワリアワセ]ぢや、此方[コチ]の了見[リョウケン]さへ温順[スナオ]に和[ヤサ]しく有[モ]つて居たなら又好い事の廻つて来やうと、此様[コウ]おもつて見ればのつそりに半口[ハンクチ]与[ヤ]るも却つて好い心持、世間は気次第で忌々[イマイマ]しくも面白くもなるもの故、出来るだけは卑劣[ケチ]な鏽[サビ]を根性に着けず瀟洒[アッサリ]と世を奇麗に渡りさへすれば其[ソレ]で好いは、と云ひさしてぐいと仰飲[アオ]ぎ、後は芝居の噂やら弟子共が行状[ミモチ]の噂、真に罪無き雑話を下物[サカナ]に酒も過ぎぬほど心よく飲んで、下卑[ゲビ]た体裁[サマ]ではあれどとり膳睦[ムツ]まじく飯を喫了[オワ]り、多方[オオカタ]もう十兵衞が来さうなものと何事もせず待ちかくるに、時は空しく経過[タッ]て障子の日晷[ヒカゲ]一尺動けど尚見えず、二尺も移れど尚見えず。

とり膳とは、夫婦・親子などが二人だけで一つの膳に向かい合って食事をすることです。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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