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#1602 墓参りを一緒にと思いまして……
それでは今日も尾崎紅葉の『多情多恨』を読んでいきたいと思います。
お類に死なれてから暮らし向きは火の無い火鉢のように侘しいものになった。葉山の座敷を逃げ出した翌日の午後、閉じ籠っているより出る方がマシだと考えた矢先に学校から人が来て出勤を促されたので、出てみようという気になる。その日になってみると、気が挫けて、九時頃まで炬燵にはいってグズグズしている。いつもならば「さあ、あなた」とお類が上がって来ておったてるのに……。思い出す事が多くなって懐かしさが胸いっぱいになる。もし金で自由になるものならば、いかなる艱難をしてでも、再びお類をこの世に生かしたいと思う。人の死んだのは紙のメラメラと燃えてしまったのと同じことで、もうとりかえしがならぬ。お類はこうしている間に赤土に埋まって腐ってゆくのであると思えば失望が激しくなる。こんな寒い日に学校へ出て五時間も勤めて何になるのだ!ああ、つまらん、つまらん!やがて悲しくなって、胸がせまって、涙が流れて、苦しみを覚えるので、酒をあおって寝ます。寝る事に飽きれば、運動をして、空を眺めて、ためいきをつく。次の日も、その次の日も、このていたらくで過ごします。老婢は心配します。柳之助も「寂しいな、元」とはよく言うが、そのほかには何も言いません。三七日の朝、柳之助はモーニングコートを着て墓参りに出ます。町通りを二町ほど来ると一軒の花屋がある。「おい花をくれんか」「これは御注文で」「すこし売ってくれ」「そうは参りません」。柳之助は主人の顔を睨みつけて店を出ます。二三町歩いた先にある花屋は倍も大きく、世辞もよく、代物も山のようにある。南天、水仙、椿、寒菊を買うが、健脚の柳之助も花束の大きさに持て扱って、車に乗ろうとする。谷中までの値段を不当にふっかける車夫をあしらっていると、若夫婦が乗った車が叱り飛ばすように声をかけて駆けて来ます。慌ててよけるはずみに、南天の枝が車に擦れ、房がちぎられ轍のあとに転がります。「おい、待て、失敬じゃないか」「なにが失敬だい、間抜けめい!」。柳之助は一時クワッとなったが、我ながら、はしたない、なさけない。柳之助はぼんやりと立っていたが、落とされた南天を拾って、外套に入れます。値を付けて来た車夫からも「要らなきゃ止せ」と言われる始末。ステッキを振り回して、大股に立ち退くが、せっかくの花をキズモノにされたのが無念で堪えられない。あんなやつらの車に、供える花を台無しにされて実に恥辱だ。柳之助は拾った房を地面に投げつけて、花束のなかから南天の枝を引き抜いて捨ててしまうと、遊んでいた三人の女の子が駆け寄ってきて「おじさん、これ要らないの?」と言って、拾って去っていきます。すると、後ろから車が飛ばしてきます。前の車には金縁の眼鏡をかけショールを着た娘、後ろの車には四十五六の太った、さきの娘の母親に見える。「おや」と声をかけられ、「やあ」と柳之助も足早に追いかける。
「好[イ]い所[トコ]でお目に掛りました。」と車から言へば、
「何地[ドチラ]へ?」と柳之助は訊[タズ]ねる。
「お宅へね、上[アガ]らうと思ひまして。」
「あゝ、然[ソウ]でしたか。」
「お島も御墓詣[オハカマイリ]がしたいと言ひますから、連れまして。」
「はあ、其[ソレ]は。それぢやもう墓詣はなさいましたか。」
「いゝえ、御一所にと思ひましてね、家[ウチ]から直[スグ]に参りましたよ。」
前[サキ]の車も引返して来ると、お島は頭巾を取つてゐる。色の白い、髪の薄い、目鼻立[メハナダチ]の発揮[ハッキリ]として賑[ニギヤ]かな、姉のお類よりは容色勝[キリョウマサリ]との噂であるが、小軀[コヅクリ]で痩過[ヤセス]ぎた所は、何と無く霜朽[シモゲ]てゐる。
シオールを後[ウシロ]へ取ると、小豆色[アズキイロ]の縮緬の羽織に御召縮緬[オメシチリメン]の変裏[カワリウラ]の二枚襲[カサネ]、空色の紅入友禅[ベニイリユウゼン]の襟を懸けて、海老茶[エビチャ]に瓦尽[カワラヅクシ]の糸錦[イトニシキ]の丸帯。玉入[タマイリ]の繊[ホソ]い指環を穿[ハ]めて、髪[アタマ]の飾[カザリ]は、本甲蒔絵[ホンコウマキエ]の政子形[マサコガタ]の櫛に、モール細工の前挿[マエザシ]、後[ウシロ]は金被[キンキセ]の透彫[スカシボリ]の玉に松葉形[マツバガタ]の鼈甲脚[ベッコウアシ]、金被[キンキセ]の管根掛[クダネガケ]をして、結立[ユイタテ]ではあるが、鬢[ビン]の薄い所為[セイ]か、髷の座[スワリ]が悪くて、どうやら島田を仮[カ]りて載せたやうに見える。
笑顔をすると、歯の黒いのが一寸[チョイト]見えて、片靨[カタエクボ]が入[イ]つて、透通[スキトオ]るやうな声で、物言[モノイイ]の人懐[ヒトナツカ]しげな、孰[ドチラ]かと云へば羞含[ハジカ]まぬ質[タチ]であるが、途中の不意の所為[セイ]か、物も言はずに、重くるしく会釈をしたばかり。柳之助も同じく黙然[ダンマリ]で、極[キマリ]を悪さうに挨拶をした。
どうやら義母と義妹のようですね。
本甲とは、本物の鼈甲という意味です。政子形とは、丸みを帯びた半月の形の櫛で、鎌倉の鶴岡八幡宮に伝わる北条政子の櫛の形に倣って作られたのが名の由来で、明治時代に流行しました。
#1215でちょっとだけ紹介しましたが、1870(明治3)年2月5日太政官布告第88号「一華族自今元服之輩歯ヲ染メ眉ヲ掃候儀停止被」において、元服する華族に対してお歯黒・引き眉禁止令が出されます。しかし、庶民の間でお歯黒が完全になくなるのは大正時代になってからです。
ということで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!